明智光秀と共に戦死!「本能寺の変」を成した5人の重臣”明智五宿老”とは?【前編】 (2/4ページ)
また、三宅姓を名乗っていた記録も残っており、明智家の家臣であった三宅氏の一族である可能性も残っている。
1553年。美濃国斉藤家の内紛によって、美濃を追われた光秀と共に越前へ渡ったとされる。光秀の家臣として仕え、1578年には光秀の娘と結婚している。
1579年。光秀が丹波国(現在の京都・兵庫・大阪を跨ぐ地域)を平定すると、福知山城を預けられた。本能寺の変直前まで在城したという。
坂本城址公園内にある「明智光秀」の像(Wikipediaより)
2. 明智 光忠(あけち みつただ)
明智光秀の叔父である明智光久の子であり、光秀のいとこにあたる。1540年生まれと考えられており、光秀より年下であったとされる。生前の資料が乏しい人物で、実像はあまりわかっていない。時期は定かでないが、妻は光秀の次女であったという。
1579年。光秀の丹波国平定によって波多野氏から奪った八上城(やかみじょう)の城代となる。