明智光秀と共に戦死!「本能寺の変」を成した5人の重臣”明智五宿老”とは?【前編】 (3/4ページ)

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3. 斎藤 利三(さいとう としみつ)

「太平記英勇伝五十四:齋藤内蔵助利三」(落合芳幾作)

1534年。美濃斉藤氏の一族の元に生まれる。斎藤道三の息子である義龍に仕えたが、その後は光秀の家臣となった。光秀からの信頼が厚かったようで、筆頭家老として頭角を表した。兄弟に土佐国(現在の高知県)の大名「長曾我部元親(ちょうそかべもとちか)」の正室がいた関係で、明智家の外交に功績を成した。

光秀の丹波国平定に伴い「黒井城(くろいじょう)」城主となる。継室との間に生まれた娘には、後の江戸幕府3代将軍「徳川家光」の乳母であり、江戸城大奥の礎を築いた「春日局(かすがのつぼね)」がいる。

4. 藤田 行政(ふじた ゆきまさ)

通称は「伝五(でんご)」。光秀の父親の代から明智家に仕えていたとされる。織田信長と足利義昭対立後、光秀によって落とされた山城国の山本氏が守っていた静原山城に入城した。

大和国(現在の奈良県)の戦国大名である「筒井順慶(つついじゅんけい)」と、光秀の取次役として活動したともいわれるが定かではない。

5. 溝尾 茂朝(みぞお しげとも)

前半生は不明な点が多い人物である。1573年以降は、「三沢秀次(みさわひでつぐ)」の名で、光秀の与力として越前国の代官(領地の支配を代行する地位)を努め、越前支配の実権を掌握したという。

1574年。

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