江戸時代、遊女の逃走や恋路を阻んだ吉原遊郭の「お歯黒どぶ」名前の由来や役割&構造とは? (2/3ページ)

Japaaan

吉原へ行く道は、日本堤から「大門」へと続く「十五間道」を通るしかなく、吉原の出入口は、「大門」と呼ばれる扉のない正門のみでした。

とはいえ、女性が大門をくぐって外に出るためには、「切手」とよばれる通行手形のようなものを提示する必要があったのです。

非常用にかけられた9か所の「はね橋」も、普段は上げられていたため通行は不可。

吉原の周囲を囲む「お歯黒どぶ」は、このように遊女たちの逃亡を防ぐ目的で造られました。

実際には、無銭飲食した客を逃さないという役目も果たしていたようです。

「お歯黒どぶ」名前の由来や構造

吉原を囲む大どぶは、遊女たちが使ったお歯黒を捨てたことから「お歯黒どぶ」と呼ばれるようになったそうです。

創業時に約9メートルあった幅は、江戸時代末期から明治初期にかけて3.6メートルになり、明治の終わりごろには約90センチにまで縮小しています。

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