身辺の没落の影にはやはり道長…三条天皇と藤原娍子の次女・禔子内親王の生涯をたどる【光る君へ】 (2/3ページ)
長和2年(1013年)に姉の当子が斎宮として伊勢に下向したこともあり、禔子内親王は父からたいそう可愛がられたそうです。
そんな禔子内親王に最初の縁談が持ち上がったのは、13歳となった長和4年(1015年)。三条天皇が藤原頼通(道長嫡男)に降嫁させる内意を示しました。
天皇陛下から積極的に皇女の降嫁を持ちかけた前例はなく、道長との関係改善を図るための政略結婚です。
皇室とのつながりを強化する縁談に道長は乗り気でしたが、頼通は正室の隆姫女王(たかひめ)を傷つけまいと気乗りしない様子でした。
「男はよい妻を娶ってナンボ。一人にこだわるべきではない(意訳)」
道長に叱咤される頼通でしたが、具平親王(ともひら。隆姫女王父)の亡霊が夢枕に立ち、娘を見捨てぬよう涙ながらに訴えます。
そのせいか頼通は重病を患ってしまい、結局は破談となってしまいました。禔子内親王は何も悪くないのに、何だか可哀想ですね。
弟の藤原教通と結婚
道長・頼通との関係改善に失敗した三条天皇は長和5年(1016年)1月29日、敦成親王(後一条天皇)へ譲位。とうとう膝を屈してしまいました。禔子内親王も責任を感じてしまったのでしょうか。
しかし、ただで譲位する三条天皇ではありませんでした。
「次の春宮は敦明親王にせよ。