そんなことある!?日本初の「弥生式土器」発掘場所は…分からない?実は出土場所は90年も不明だった (2/3ページ)
当初は、先述の通り弥生町から出土したこともあり弥生町の壺と言われたのですが、やがて弥生式土器と呼ばれるようになります。そこから、弥生時代という年代名も生まれました。
1884年に初めて出土した土器は、栄えある弥生式土器1号と命名され、東京大学人類学教室に保存されています。ただ、その後に問題となったのは、その記念すべき第1号の出土場所でした。
そのあたりは地形が変化したこともあって、明確な出土場所が分からなくなってしまったのです。肝心の向ヶ岡貝塚が、どこにあったか不明となってしまったのでした。
なにしろ発見者の有坂自身が、向ヶ岡貝塚について記録を書いたのは発見から40年近く経ってからのことだったのです。既に現場の地形は変わっていた上に、記憶も定かではなくなっていました。
特定された?発掘場所やむなく、弥生式土器1号の出土場所は東京大学農学部の構内ではないかということにされていたのですが、90年後の1974年(昭和49)に状況が変わります。
東京大学工学部九号館の近くで、子供が遊んでいた時のことです。