【光る君へ】ロクな未来が待ってない予感…「藤原通任(古舘佑太郎)」とはどんな人物?生涯をたどる (2/4ページ)
藤原通任は天延2年(974年)、藤原済時(なりとき)と源延光女(のぶみつ娘)の間に誕生しました。
兄弟姉妹に藤原為任(ためとう)、藤原相任(すけとう)、藤原娍子、念覚(ねんがく。僧侶)、宗覚(そうがく。僧侶)、女子(敦道親王妃)らがいます。
寛和2年(986年)に従五位下となり、左兵衛佐(さひょうゑのすけ)・右近衛少将(うこのゑのしょうしょう)など武官を歴任しました。
長徳2年(996年)には春宮権亮(とうぐうごんのすけ)として春宮妃(春宮・居貞親王妃)となっていた姉の藤原娍子に仕え、また右馬頭(うまのかみ)や讃岐権守(さぬきのごんのかみ)を歴任します。
のち寛弘8年(1011年)に三条天皇(居貞親王)が即位すると蔵人頭(くろうどのとう)に抜擢、同年内に参議となって公卿の仲間入りを果たしました。
これは蔵人頭の先輩で右大弁(うだいべん)を兼任していた源道方(みちかた)を飛び越す抜擢で、道方のみならず人々の妬みを買ったことでしょう。
しかしそんなことはお構いなし、翌寛弘9年(1012年)には一気に三階級昇進の従三位(じゅさんみ)となります。
【通任の大出世】
従三位←ここまで一気に! 正四位上(しょうしいのじょう) 正四位下(しょうしいのげ) 従四位上(じゅしいのじょう)←ここからそして姉の娍子が三条天皇の皇后となると、通任はその弟として立后(りっこう)の儀式に参列しました。
三条天皇の義弟として、通任は我が世の春を謳歌せんとしていたのです。
