【光る君へ】鬱屈の末…もう嫌だ!藤原道長の息子・長家はなぜ公卿の象徴である檳榔車を焼いたのか? (2/3ページ)
治安4年(1024年)には正二位まで昇り、父の道長が薨去した翌万寿5年(1028年)には、権大納言(ごんのだいなごん)まで昇進しました。
……が、長家の出世はここまで。後は兄たち(異母兄の藤原頼通・藤原教通、同母兄の藤原頼宗・藤原能信)が永く健在であったことから上がつっかえており、先に進めなかったのです。
そのまま30年以上にわたりくすぶり続けた康平3年(1060年)、甥の藤原師実(もろざね。嫡長兄・頼通の子)が19歳で内大臣となりました。
内大臣は大納言及び権大納言の上、長家は軽く飛びこされてしまったのです。
「もう嫌だ!やってられるか!」
生まれの格差に絶望したのか、怒り狂った長家は自身の檳榔車(びろうげのくるま)を焼き払ってしまいました。
檳榔車とは檳榔樹(ビンロウ)の木材を白く晒して組んだ牛車で、貴人や公卿にのみ許されたものです。
公卿の象徴とも言える檳榔車を焼き払った暴挙に、長家の鬱屈した怒りを感じずにはいられません。
そして還暦を迎えた康平7年(1064年)に病のため出家、同年11月9日に薨去したのでした。