【光る君へ】鬱屈の末…もう嫌だ!藤原道長の息子・長家はなぜ公卿の象徴である檳榔車を焼いたのか? (1/3ページ)
藤原道長には6人の娘と7人の息子がいました。うち6人(娘2人と息子4人)は側室の源明子(めいし/あきらけいこ)が生んだ子です。
後の7人中6人(娘4人と息子2人)は正室の源倫子(りんし/みちこ、ともこ)が、残る息子1人は源重光女(しげみつ娘)が生みました。
今回は源明子が生んだ道長の六男・藤原長家(ながいえ)を紹介。彼が歩んだ生涯を、たどってみたいと思います。
13歳で殿上人、18歳で公卿に藤原長家が誕生したのは寛弘2年(1005年)8月20日。父の道長は40歳、母の源明子はそれより若干上でした。かなりの高齢出産ですね。
幼名は小若(こわか)、寛仁元年(1017年)に13歳で元服します。元服と時同じく従五位上に叙せられ、内裏への昇殿を許されました。
同年に侍従(じじゅう)、次いで右近衛少将(うこのゑのしょうしょう)に任じられます。
翌寛仁2年(1018年)には従四位上・右近衛中将(~ちゅうじょう)、更に寛仁3年(1019年)には正四位下と昇りました。
そして治安2年(1022年)には従三位に叙せられ、18歳で公卿に列したのです。
30年以上にわたる鬱屈の末……
公卿となった長家は、その後も順調に出世。治安3年(1023年)には正三位・権中納言(ごんのちゅうなごん)となります。