西洋文化に流されず自らの信念を貫いた男勝り!大隈重信の妻・大隈綾子の生涯 (2/3ページ)
20歳で大隈重信と結婚し(重信も再婚でした)、その後は常に重信に寄り添い、生涯仲の良い夫婦として知られています。
流行に流されず、自らのスタイルを保持
19世紀後半の日本の価値観は、西洋文化を取り入れることに躍起になり、古くから日本に伝わる伝統的な価値観をどんどん排除していこうとした、そのような時代でした。
その象徴的な場所が鹿鳴館です。鹿鳴館では、多くの人が洋装でダンスをし、西洋風の社交を楽しんでいました。ところが、綾子は和服で夜会に参加したそうです。
彼女はダンスや洋装が好きではなく、日本の伝統美を大切にするために着物を着続けたのです。この姿勢が周りに影響を与え、次第に和装で参加する人も増えていったそうです。
綾子は、自分の信念を曲げず、流行に流されない強さを持った女性でした。
夫を支える「うちの番頭」また、宮武外骨が綾子を「男勝りの女」と呼んだことからも、彼女の性格がわかります。
綾子はいつも大隈重信と一緒に行動し、その度量の大きさや毅然とした態度で、家の中でも社交の場でも尊敬されていました。重信も綾子のことを「うちの番頭」と呼び、その判断力と行動力を信頼していました。
彼女は夫の政治活動を支えるだけでなく、夫の決断にも影響を与える存在だったのです。
1896年、重信は尾崎行雄から第2次松方内閣への参加を頼まれましたが、松方たちの無能っぷりに呆れて一度は断ったそうです。そこで尾崎が綾子に相談すると、彼女は「私に任せてください」と言って奥に入り、しばらくして「大隈が承諾しました」と戻ってきました。