西洋文化に流されず自らの信念を貫いた男勝り!大隈重信の妻・大隈綾子の生涯 (3/3ページ)

Japaaan

重信は、一度言い出したことを変えることは珍しく、尾崎は綾子の「魔力」に驚いたといいます。このような話からも、綾子が夫にどれほど影響力を持っていたかがわかります。

女性の社会的地位向上への努力

綾子は、1901年には愛国婦人会の発起人の一人となり、女性の社会的地位を上げるためにも努力しました。重信が政界を引退した後、家計が苦しくなり、1909年には町田忠治たちの助けで資産の整理を行い、昔助けた人たちから寄付を集めて生活をしたといいます。

1922年に重信が亡くなると、綾子は新しい家を建てて、重信の前妻の娘である熊子と一緒に暮らしました。綾子は熊子をとても頼りにしており、熊子も綾子に尽くしました。翌年、綾子も夫の後を追うように亡くなりました。

参考

岩崎徂堂『明治大臣の夫人』  (大学館 1903) 尾崎行雄『近代快傑録』(千倉書房 1934)  20世紀日本人名事典. “大隈 綾子”. コトバンク.

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「西洋文化に流されず自らの信念を貫いた男勝り!大隈重信の妻・大隈綾子の生涯」のページです。デイリーニュースオンラインは、大隈綾子大隈重信明治維新幕末明治時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る