南北朝時代、そもそも後醍醐天皇はなぜ「吉野」の地を根拠地としたのか?その3つの理由 (3/3ページ)
三つめは、後醍醐天皇自身が真言密教宗派に太い人脈を持っており、吉野で修行する修験者を味方につけられたことが挙げられます。
当時の熊野の修験勢力は強力な水軍をもっていたので、この地で海上ルートを確保することで、後醍醐天皇は大きな戦力を得ることにつながったのです。
このように見ていくと、後醍醐天皇は単に吉野へ「逃亡」したわけではなく、あくまでも今後の戦のことを考えながら移動したことが分かります。彼が吉野に逃れることには大きな意味があったのです。
参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:Wikipedia
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