鎌倉時代、関東の武士は本当に無粋で無学な田舎者だった!?実は「あの人」も恥をかいていた【逃げ上手の若君】

中国に由来する「東夷」
アニメ化されて話題沸騰中の『逃げ上手の若君』ですが、原作漫画のストーリーの中には、北畠顕家が率いる、粗野で無教養な関東武士たちが登場しますね。

当時の関東武士たちは実際にああいう感じだったらしく、教養豊かな京の公家から見れば彼らはきわめて無粋で無学な田舎者でした。
公家たちが、関東の武士たちを「東夷(あずまえびす)」と呼んであざ笑っていたのも本当のことです。
それにしても、この東夷という言葉は何に由来するのでしょうか。
これは、本来は中国由来の言葉です。もとは古代中国の東に位置する山東省あたりの人々に対する呼び名でしたが、秦以降は朝鮮半島・日本列島などに住む異民族を指すようになりました。
日本では「夷」をえびす、えみし、ころす、たいらげる、と訓読させており、「蝦夷(えみし、えびす、えぞ)」にもその用法が見られます。
放送禁止レベル!?また『日本書紀』では景行天皇条に武内宿禰が北陸及び東方諸国を視察した際の記述として「東の夷の中に、日高見国有り。その国の人、男女並に椎結け身を文けて、人となり勇みこわし。是をすべて蝦夷という」とあります。
こんなこともあって、異民族を意味する「エビス」という語と一体化し、朝廷(京)から見て東国や蝦夷の人々のことを「東夷(あずまえびす・とうい)」「夷(い・えびす)」と呼んだのです。
この呼び名には、荒々しい武士、情を理解しない荒っぽい人、風情が無く、教養・文化に欠ける人、特に東国の武士が含まれるようになりました。
他人を蔑む言葉なので、あまり使うべきでない言葉なのは間違いないでしょう。
とはいえ歴史上、実際に使われていた言葉ですし、『逃げ若』にも登場する北畠顕家が本当に使っていたとしても不思議はありません。

ですから今さら使ってはいけないもヘチマもないのですが、現代だったら明らかな差別用語として放送禁止になるでしょう。
ただ、今では知っている人の方が少ない言葉なので、今のところ『逃げ上手の若君』ではギリギリのラインで使えているといったところでしょうか。
北条泰時の「恥」さてそれで、当時の東夷たちの教養のほどは実際のところどうだったのでしょうか。
彼らが、客観的に見て「学がなかった」のはどうやら本当らしく、関東武士たちが漢字もろくに読めなかったのは確かなことです。
例えば、こんなエピソードが残っています。
鎌倉幕府が成立して39年後、後鳥羽上皇が幕府打倒を企てて兵を挙げました。そのさい、幕府側は、後に三代執権となる北条泰時が関東武士を率いて京へ攻め上り、鎮圧します。

その後、朝廷から講和文書が下されたのですが、泰時には漢文で書かれたその文書が読めなかったのです。
そこで、家来の岡崎三郎兵衛尉に「この文書を読める者はいないか?」と尋ねます。すると岡崎は「武蔵国の藤田三郎というものは学問があり、読めると思います」と答えました。
つまり当時、泰時配下の関東武士には漢文が読みこなせる者がわずか一人しかいなかったのです。
当時、関東武士は武芸に励み、学問を軽視していました。漢詩や和歌、古典文学などに興味をもつ者はまずいなかったのです。
ただし、学問や文芸に無関心と言っても、勉強ができなかったわけではありません。漢文が読めずに恥をかいた北条泰時は、鎌倉に帰ると猛勉強しています。
そしてその後の1232年(貞永元)には、鎌倉幕府初の法律「御成敗式目」を完成させています。
いつの時代にあっても、勉強はとても大事だということですね。
参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC,Wikipedia
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