幕末の悲劇…討幕に貢献するも新政府に切り捨てられた志士・相楽総三と赤報隊の末路 (2/4ページ)

Japaaan

歌川国輝 筆

相楽総三らは、しばらく土佐藩士板垣退助(いたがきたいすけ)の手引きによって江戸に潜伏します。土佐藩と薩摩藩の間で同盟の密約がかわされた後、相楽総三ら勤王の志士たちは薩摩藩預かりとなるのです。

薩摩藩の西郷隆盛(さいごうたかもり)の命を受け、相楽総三と勤王の志士達は暴行や掠奪、放火などの活動を行います。幕府を挑発して開戦に持ち込むためでした。

こうして相楽総三らの活動は、江戸薩摩藩焼き討ち事件(江戸の薩摩藩邸に庄内藩の新徴組が報復襲撃した事件)に発展し、鳥羽・伏見の戦いや戊辰戦争の引き金となるのです。

西郷隆盛は、開戦に持ち込んだ相楽総三らの功績をたたえました。相楽総三はこれを機に赤報隊を結成し、討幕の旗頭になっていくのです。

相楽総三と赤報隊に起こった悲劇

相楽総三らの働きによって、満を持して結成された赤報隊。彼らはなぜ切り捨てられることになってしまったのでしょう?赤報隊の軌跡から偽官軍にされた理由まで解説します。

赤報隊の軌跡

赤報隊は、1番隊から3番隊での編成でした。1番隊は結成からのメンバーが中心、2番隊は元御陵衛士(元新撰組)が、3番隊は水口藩士や江州出身者が多い構成です。

戊辰戦争が始まると、赤報隊は新政府の命で「旧幕府領の当年分、前年未納分の年貢半減」を各地でふれまわりながら進軍していきました。

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