幕末の悲劇…討幕に貢献するも新政府に切り捨てられた志士・相楽総三と赤報隊の末路 (3/4ページ)

Japaaan

「年貢半減」朝廷からの了解も得た布告でした。

「年貢半減」を各地でふれまわったのは、民衆の心を旧幕府軍から離れさせるための策でした。世直し一揆など旧幕府に反感を持つ民衆からも支持を得ることに成功します。

偽官軍にされた赤報隊

赤報隊の進軍中に悲劇は起こりました。新政府が突如意見を翻し、「年貢半減」は赤報隊が勝手にふれ回っていることにしたのです。新政府は財政的に「年貢半減」は困難であることが最初からわかっていました。

そのため、証拠に残さないように文章も作成していません。新政府は密かに「年貢半減」を取り消していたのです。

更に赤報隊は、新政府からの命令を無視した進軍を行い、その独断・独立行動が新政府に危惧されるようになります。やがて「年貢半減」や独断行動の危惧によって、官軍の名の下沿道から略奪行為を行う「偽官軍」として汚名を着せられることになったのです。

赤報隊が進軍中に略奪行為が実際に多かったことも、小諸藩から反感を買っていました。新政府は自分たちを守るため、赤報隊を切り捨てたのです。

相楽総三と赤報隊の末路

赤報隊は新政府によって捕縛され、相楽総三ら8名の赤報隊幹部は下諏訪宿のはずれで処刑されます。相楽総三、享年30歳。妻もこの訃報を聞き、後追い自殺をしました。

赤報隊の1番隊はメインメンバーが多かったため処刑されたものが多く、3番隊も略奪行為が目立ち処刑されたものが多数いました。2番隊は新政府に従軍、京都に戻り徴兵7番隊に編入。

相総三の孫である木村亀太郎が赤報隊関係者と共に奔走し、昭和に入ってようやく多く隊員の名誉が回復されました。

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