酒癖が悪く男児好き…!僧侶・安国寺恵瓊の生涯「本能寺の変」も予言し参謀として活躍 (2/3ページ)
小姓は雑用係のような役回りですが、時には主君の夜の相手をすることもあったのです。また、主君と小姓の間で恋愛関係に発展していることも珍しくなく、恵瓊の不貞行為は毛利輝元の逆鱗に触れてしまいます。
翌朝、目を覚ました恵瓊が「どれほどに申し訳ないことをしたか、計り知れません」と毛利輝元に謝罪文を送ったため、毛利輝元は恵瓊の優秀に免じて許したそうです。
普段の真面目な行動が、恵瓊自身を救ったのでした。
本能寺の変を予言織田信長が全国制覇を果たしたとき、京都にいた恵瓊は「織田信長の横死と羽柴秀吉(豊臣秀吉)の出世」を予言し、自身の主君・毛利輝元に伝えていたそうです。
楊斎延一 画
そして、その約9年後に「本能寺の変」が起こり、信長はこの世を去りました。信長の死後、恵瓊は毛利輝元に仕えながら、秀吉に気に入られることで側近となり出世します。
関ヶ原にて斬首された恵瓊秀吉が亡くなった後、秀吉の後釜を狙った石田三成と徳川家康の間で戦が起こります。毛利家は石田三成率いる西軍と徳川家康率いる東軍のどちらの味方につくかで意見が分かれていました。
石田三成と仲の良かった恵瓊が西軍を推したことで、輝元も恵瓊を信頼し西軍につきます。