【光る君へ】平安時代きってのカタブツ・藤原実資!実は意外と隅に置けない…妻子たちを一挙紹介 (4/6ページ)

Japaaan

永観元年(983年)に良円(りょうえん)が生まれたものの、母親の身分が低いため出家させました。

この良円は権少僧都(ごんのしょうそうず)まで昇進し、永承5年(1050年)まで生きています。

四人目の妻・源頼定乳姉妹

「かぐや姫」こと藤原千古(イメージ)

読み:みなもとの よりさだの めのとご

実名:不詳/役名:百乃(千野裕子)

貞元2年(977年)生~没年不詳

乳姉妹とは要するに乳母の娘。源頼定と血縁的なつながりはありません。

彼女は寛弘8年(1011年)ごろに藤原千古(ちふる/かずこ)を生み、母娘とも実資から寵愛を受けたものと思われます。

実資から「かぐや姫」と呼ばれ、きっと入内させようと大切に育てられた千古。

しかし道長の妨害によって実現できず、結局は藤原兼頼(かねより。道長の庶子・藤原頼宗の子)と結婚しました。実資は千古かわいさの余り、財産のほとんどを彼女に譲ります。

それが仇となって彼女の死後、兼頼と道長一族に持って行かれてしまいました。

経済的基盤を失った実資の一族は次第に没落していきます。

生母不詳の子女たち

実資には他の子供がいましたが、それぞれ母親について詳しいことはわかっていません。

観薬(かんやく):僧侶。生没年不詳、母親の身分が低いため、出家したものと思われます。 女子:生年不詳~永祚2年(990年)没。幼くして亡くなる。 藤原経任(つねとう):生没年不詳。『尊卑分脈』では実資の子となっていますが、藤原懐平(かねひら)の子に同姓同名の者がいました。
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