【光る君へ】藤原彰子、危うし!?大胆にも御所へ乱入してきた”博打打ち”たちに驚きが止まらない! (1/3ページ)
世界中には多くの君主が存在しますが、日本の京都御所ほどセキュリティの甘かった御在所はなかったのではないでしょうか。
それは臣民らへの信頼ゆえか、あるいは単に意識や予算の欠如ゆえか……。
何とも言えないところですが、今回は内裏へ乱入した無法者たちのエピソードを紹介したいと思います。
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時は寛仁3年(1019年)8月、右京で博徒らが争論していました。
右京とは平安京の西半分(御所≒天皇陛下から見て右側)で、しばしば桂川の氾濫にさらされる湿地帯です。
満足な家も建てられず、田畑にも不向きであるため、低所得者層が仮小屋をかけて寝起きするスラム地域でした。
そんなところに博打打ちが群がるのは自然の流れ。
博徒らの争論と言えば、イカサマをしたとかイチャモンつけるなとか、おおかたそんなところでしょう。
あまりにもありふれた日常光景ですが、この日はちょっと違いました。
