「壇ノ浦の戦い」で敗れた平家の女性たちはどこへ消えた?言葉の語源が示す彼女たちの哀しき運命 (2/3ページ)
今日、平家の落人伝説は日本各地に伝承されています。
源氏と平家とが雌雄を決した源平合戦(一ノ谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いなど)で、平家方は敗退。その過程で発生した平家方の落人・敗残兵が各地に潜んだことは、さまざまな伝承によって伝えらています。
例えば熊本県の五家荘・徳島県の祖谷山・岐阜の白川村・奥能登など、平家集落と呼ばれるものが全国各地に点在していますが、これらは落ちのびた平家の残党がつくった集落といわれています。
こうした残党については平家の落武者と呼ぶ場合もありますが、落ち延びたのは武士だけではないので、厳密には平家の落人と言われることも多いですね。
こうした平家の落人が潜んだ地域を平家谷、平家塚、平家の隠れ里、平家の落人の里などといいます。
上臈から女郎へさてそれで、贅沢三昧の暮らしに慣れた平家の女性たちの中には、山里の厳しい生活に耐えきれず、里へ下りていった者も多くいました。
彼女たちの中には遊女になった者も多かったといいます。
土地の人は、そのような女性を、身分の高い人を意味する上臈方(じょうろうがた)と呼びました。それがジョロウとなまり、やがて女郎になったという説もあります。