「壇ノ浦の戦い」で敗れた平家の女性たちはどこへ消えた?言葉の語源が示す彼女たちの哀しき運命 (1/3ページ)

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「壇ノ浦の戦い」で敗れた平家の女性たちはどこへ消えた?言葉の語源が示す彼女たちの哀しき運命

「平家」の女性たち

平安時代末期、栄華の頂点を極めた平家一門壇ノ浦の決戦で敗れ、壊滅しました。

ところで、その後、平家の一門はどうなったのでしょうか?

『安徳天皇縁起絵図』の壇ノ浦の戦い(Wikipediaより)

よく、平家の残党の武将たちは「落ち武者」となって各地に散り散りになったと言われますが、それは男性の武将たちの話です。それ以外の女性たちはどうなったのかが、今回のテーマです。

例えば平清盛の妻・二位尼が安徳天皇を抱きながら入水したことや、天皇の母・徳子がその後、建礼門院になったことはよく知られています。

ちなみに、下関の早鞆瀬戸の海岸には竜宮城をかたどった華やかな赤門神宮が建っていますが、安徳天皇の亡骸はここに流れついたと伝えられています。

しかし、平家の女性たちはそれだけではありません。彼女たちはどこへ消えたのでしょうか。

※関連記事:

平家が滅んだのが「壇ノ浦」なのはなぜ?他の場所ではダメだった?そこに至るまでの経緯をたどる

落人伝説

かつてはこの世の春を謳歌した平家ですが、没落後は人里離れた山奥で、源氏の追及を逃れてひっそりと暮らしていたようです。

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