なんと縄文人の製塩技術はアジア圏で最古だった!?〜 ここまでわかってきた縄文時代 (3/3ページ)

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ですので土偶は、ムラの未来を支えてくれる一員として、子どもの誕生を祈る気持ちから創作されたものでは、と推測されています。

土偶は縄文時代の全ての時代と遺跡から出土しているわけではなく、
・5000年前は長野や山梨
・3800年前は千葉や茨城
・3000年前は青森や岩手
と、時代と地域差があります。面白いですね。

これは何を意味しているのでしょうか。
・ある部族の文化が伝播して流行った?
・その文化を持つ部族が移住した?

定住化が進んだので後者は考えにくいですね。民族大移動ではなく、他の村々へ情報を得るために旅をした一部の人間同士の交流で、伝わったものかもしれません。

まだまだ面白い縄文時代。これからも発見に期待したいですね。

参考:『縄文時代を解き明かす 考古学の新たな挑戦

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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