「刀伊の入寇」で20倍以上の敵に突撃し玉砕した国司・藤原理忠と、住職・常覚の武勇伝【光る君へ】 (2/3ページ)

Japaaan

対馬を襲撃、火の海にした刀伊の軍勢は壱岐にも上陸。老人や子供を虐殺して成人男女をさらい、集落を焼いて家畜や財産を略奪しました。

老人や子供は売り物にならない(奴隷として高値で売れない)から殺し、成人男女は売り物として値がつくからさらうのですね。

賊徒が暴れ回っているとの急報に接し、理忠は国衙の軍勢147名を率いて討伐に出ました。

しかし刀伊の軍勢はその数3,000。とても太刀打ちできる相手ではありません。とは言え逃げたところで逃げきれないし、万が一逃げ延びても職責を放棄した罪は免れないでしょう。

覚悟を決めた理忠は20倍以上の敵にも怯まず突撃。玉砕してしまったのでした。

藤原理忠・基本データ

生没:生年不詳~寛仁3年(1019年)没
氏族:藤原氏(詳細不明)
両親:不明
兄弟:不明
妻妾:不明
子女:不明
位階:不明
官職:壱岐守
死因:戦死(推定)
墓所:長崎県壱岐市勝本町立石南触

刀伊の軍勢を3度も撃退!壱岐嶋分寺の死闘

刀伊の軍勢を迎え撃つ常覚(イメージ)

官軍を殲滅した刀伊の軍勢は、続いて壱岐嶋分寺(国分寺)を襲撃します。

ここには多くの島民が避難しており、寺の住職であった常覚(じょうがく)は徹底抗戦を訴えました。

「降伏しても殺されるか、奴隷にされるかしかない。それならみんなで力を合わせ、最期まで戦おう!」

島民たちはこれに応え、壱岐嶋分寺に立て篭もって刀伊の軍勢を迎え撃ちます。

古来「窮鼠猫を噛む」とはよく言ったもので、何と島民たちは刀伊の軍勢を3度まで撃退したのでした。

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