やっぱり日本が大好きっ!「シーボルト事件」で国外追放されたシーボルト、なんと30年後に再来日していた! (3/4ページ)
さてその後、そもそもの元凶であるシーボルトはどうなったのでしょうか。彼が国外追放の憂き目に遭ったのはよく知られていても、実はその後、また来日していたことはあまり知られていません。
もともと、彼はオランダへ帰国してからも三年後には再来日する予定でした。しかし事件によってシーボルの人生計画は大きく狂うことになります。
30年を経て再来日それでも彼は日本への関心を失わず、オランダ政府の後援で、日本研究の成果をまとめた研究書『日本』を七巻刊行します。彼はヨーロッパに日本を紹介するとともに、日本学の祖として名声を高めたのです。
さらにその後も日本の開国をうながすために活動し、なんと日本を訪れる直前の「黒船」でおなじみペリー提督とも接触しています。
その際、シーボルトは日本に関する資料を提供したうえで、軍事行動を起こさないように要請までしていたと伝えられています。
そして1858年(安政四)、日蘭通商条約が結ばれてシーボルトに対する追放令が解除されると、彼はさっそく翌年に再来日しました。
そして長崎に残していた妻と娘と、感動の再会を果たしています。
もっともこの時点で、彼はドイツ人女性と結婚して三男二女をもうけていますし、そもそも彼のせいで多くの人がかつて処罰を受けているわけです。いくら日本が好きとはいえ、再来日した際のシーボルトの心情やいかに、という感じではありますが……。