加賀国は「百姓の持ちたる国」!?戦国時代、百姓が自治を獲得した経緯と浄土真宗本願寺との微妙な関係 (2/3ページ)
このことについて、浄土真宗再興の祖といわれた蓮如の子・実悟が、『実悟記拾遺』に「百姓等のうちつよく成て近年は百姓の持ちたる国のやうになり行き候ことにて候」と記しているのは有名な話です。
ちなみにここでいう「百姓」は、単に農民だけを指しません。農民はもちろんですが、商業を営む者、手工業者、侍までも「百姓」でした。
加賀では農民自治が数百年間行われたとイメージする人も多いかも知れませんが、ここまでの経緯を見ると分かる通り、百姓たちを後ろから支えていたのは浄土真宗本願寺派でした。
一四七一年(文明三)、 浄土真宗の拡大を目指す蓮如は、越前の加賀の国境付近にある吉崎に、北陸の布教の拠点をつくっています。
以来、加賀にも浄土真宗本願寺派の教えが浸透し、死をも恐れぬ彼らの力が国を覆すほどになったです。
とはいえ、ややこしいのは、一向一揆イコール本願寺というわけでもない点です。
微妙な権力関係実際には本願寺は一向一揆の指導者に過ぎず、深く一揆を統制する立場にはありませんでした。
事実、長亨の一揆で一向一揆勢が冨樫政親を自害に追い込むと、一向宗の教組といえるはずの蓮如は一向宗門徒の行動を非難・叱責しているのです。