脳を負傷しても死なず!単騎で敵中へ殴り込む勇猛すぎる戦国武将・小田部勝成の武勇伝 (3/4ページ)
慶長5年(1600年)に「北の関ヶ原」とも呼ばれる慶長出羽合戦が勃発すると、小田部大学は伊達家の武将・留守政景(るす まさかげ)に従軍します。
出羽国の最上義光(もがみ よしあき)を救援するべく、戦友である「不属の弥平」こと石川実光と共に上杉景勝の軍勢と戦いました。
この時、小田部大学は赤い琵琶の旗、石川実光は黒い琵琶の旗を掲げていたそうです。
赤と黒の琵琶を見て、上杉方の総大将である直江兼続(なおえ かねつぐ)は嘲り笑って言いました。
「琵琶は弾(ひ)くもの。弾く(退く)とはすなわち退(しりぞ)く意味、敵を見たら逃げ帰るのか!」
これを聞いて小田部大学は、すかさず言い返します。
「琵琶は筐(かたみ。細竹で編んだ籠)に入れればすなわち弾けぬ。もし敵を片見すれば(片目でも視界に入れば)、討つことなく退くこと能(あた)わぬ!」
見事な反論に直江は降参。勇士に対する非礼を潔く詫びた上で、正々堂々と干戈を交えたのでした。
現代の武士道にも通じる、清々しい態度と知的なやりとりに感心してしまいますね。
脳を負傷!?でも死なない
そんな乗込大学でしたが、慶長7年(1602年)に重傷を負ってしまいました。3月16日に仙台城下で勃発した御小人騒動(おこびとそうどう)です。
御小人とは農民から徴発された小者を指していました。