蘇我馬子に辱めを与えるため!?なぜ明日香村の「石舞台古墳」には土が盛られていないのか? (2/2ページ)

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蘇我馬子(Wikipediaより)

それ以降は、崇峻天皇を暗殺したり(蘇我馬子は日本史上唯一、天皇を暗殺した人物でもあります)、新羅に貢ぎ物を催促するために遠征軍を派遣しようとしたり、天皇陵である六御県の一つ葛城県の割譲を推古天皇に迫ったりするなど、権勢をふるい続けました。

重要なポイントは、こうした権力者は、必ず妬みや恨みの感情を向けられるということです。

珍しい「墓暴き」の事例

馬子が死んだのは、626年5月20日。その遺体は、子の蝦夷によって桃原の墓(石舞台古墳)に葬られました。その墓は、蘇我氏全氏族を動員して数年がかりで造られたとされています。

その後の蘇我氏は、馬子以後も蝦夷・入鹿の時代に繁栄します。その一方で、三代に渡って権力をほしいままにした蘇我氏は、多くの人たちから怨まれる存在となりました。

そこで、蘇我氏滅亡後、石舞台古墳は墓の封土を取り除かれるという辱めを受けたのではないかと考えられています。

ちなみに、日本ではあまり多く記録が残っていませんが、死後に故人の墓を破壊する、いわゆる「墓暴き」は古代中国では「戮」という刑罰として紀元前から行われており、これは近代まで続いていました。また、フランス革命でも王族の墓が暴かれるなどしています。

石舞台古墳の破壊は、こうした古代中国の刑罰を知っていた当時の権力者が行ったのかどうかは不明です。いずれにせよ、日本でこれほど大規模な「墓暴き」に該当する行為が行われたのは、かなり珍しい事例だと言えるでしょう。

石舞台古墳 入場時間 9:00~17:00(受付16:45まで) 休業日:年中無休 入場料:一般 300(250)円、高校生~小学生100(50)円 ※()は団体料金(30名以上) アクセス:バス停「石舞台」下車して徒歩3分 駐車場:あり 有料 所在地:奈良県高市郡明日香村島庄133

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