蘇我馬子に辱めを与えるため!?なぜ明日香村の「石舞台古墳」には土が盛られていないのか? (1/2ページ)

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蘇我馬子に辱めを与えるため!?なぜ明日香村の「石舞台古墳」には土が盛られていないのか?

普通の古墳ではない石舞台古墳

奈良県明日香村にある「石舞台古墳」のことは、歴史好きの人なら知らない人はいないと思います。

しかし、有名なこの古墳は、よく考えてみると、私たちが古墳と聞いてすぐイメージするものとは大きく異なっています。

石舞台古墳の大きな特徴は、封土(ふうど)がなく、石室が露出している点です。普通の古墳は石室の上に土が盛られているのですが、石舞台古墳はいわばむき出しの状態で、そこに石がかぶせられているだけの状態なのです。

それこそが「石舞台古墳」という呼称の由来でもあるわけですが、この剥き出しの古墳はかつては東西481メートル、南北83メートルの外堤をもつ上円下方墳か、あるいは方形墳だったと考えられています。

つまり、石舞台古墳はいったんは土がかぶせられていたのです。では、なぜ現在はむき出しの状態になっているのでしょうか。

実は、この古墳の封土が取り除かれたのは、埋葬者とみられる蘇我馬子に対する懲罰の意味があったからではないかと考えられているのです。

権勢をふるった蘇我氏

石舞台古墳は、純粋に古墳として造られた当時の姿をとどめているわけではないということです。この古墳は、古代日本で権勢を振るった蘇我氏への仕返しとして、蘇我氏の滅亡後に破壊されたのではないかと考えられています。

蘇我氏は、蘇我稲目の代に、物部氏と並ぶ二大勢力に発展した豪族です。小学校の日本史でも登場するほどの超有名な一族ですね。

蘇我氏が権勢をふるうようになったのは、用明天皇の没後に勃発した、後継者をめぐる争いでした。

蘇我稲目の子である馬子は、ライバルの豪族・物部氏が擁立しようとした穴穂部皇子を暗殺します。そして、物部守屋を戦いで打ち破り、蘇我氏専制の時代を築きました。

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