流浪と反逆!室町幕府のラスト将軍・足利義昭の苦難と悲劇に満ちた壮絶人生【前編】 (2/3ページ)
今回は、京都を追放されたその後にもスポットを当てて、足利義昭という人物について、その全容を見ていきたいと思います!
急な家督相続と僧侶としての出発義昭は室町幕府を開いた足利尊氏の血筋ではありますが、家督相続者ではありませんでした。兄である13代将軍・足利義輝が将軍職を継いだため、慣例により仏門に入って、「覚慶(かくけい)」と名乗り、一乗院門跡として活動していました。
出家後の義昭は学問に励み、教養を高めました。彼の知性や文化的素養は、この時期の経験によって培われたものです。
しかし、1565年に「永禄の変」が起き、兄・義輝が三好三人衆に暗殺されるという衝撃的な事件が起きます。この事件により、室町幕府は権威を大きく失い、将軍家は壊滅状態に陥りました。
足利義昭坐像(等持院霊光殿安置) 森末義彰, 谷信一 編『国史肖像集成 将軍篇』(1941 目黒書店)より
義昭は兄の死によって、突如として将軍職継承の可能性が浮上しました。そこで、細川藤孝ら幕臣の援助を受けて南都から脱出、還俗して「義秋(よしあき)」と名乗るようになります。もともと政治の表舞台に立つ予定のなかった義秋にとって、これは運命的な転換点でした。
流浪の日々と理想への決意兄の死後、義秋自身も命の危険にさらされ、各地を逃げ回ることを余儀なくされます。して、この逃亡生活の中で、彼はただ自らを守るだけでなく、「室町幕府の再興」という使命感を抱くようになるのです。
義昭は身分を越え、各地の有力者に助けを求めることで、人脈を築いていきました。