【大河ドラマ べらぼう】狂歌ブームの立役者・朱楽菅江とは何者?その生涯をたどる (2/3ページ)

Japaaan

狂歌師として夫婦で活躍

喜多川歌麿 画『絵本江戸爵』

狂歌師として活躍した朱楽菅江ですが、はじめは内山賀邸(うちやま がてい)に和歌を学びました。やはり基本は大事ですからね。

やがて俳諧も学び、俳諧の中でも言葉遊びの要素が強い雑俳(ざっぱい)にも親しみました。

狂歌に目覚めたのは安永年間(1772~1781年)の初期ごろ。同門の大田南畝(おおた なんぽ)、唐衣橘洲(からごろも きっしゅう)、平秩東作(へづつ とうさく)らと活動を開始します。

また妻の節松嫁々(ふしまつのかか。幕臣・小宮山昌俊女。実名ちか、通称まつ)と組んで朱楽連(菅江連)を結成。狂歌ブームの一助となりました。

『万載狂歌集(まんざいきょうかしゅう)』天明3年(1783年)

『故混馬鹿集(ここんばかしゅう)』天明5年(1785年)

『狂言鶯蛙集(きょうげんおうあしゅう)』天明5年(1785年)

『絵本江戸爵(えほんえどすずめ)』天明6年(1786年)

『軽口鸚鵡盃(かるくちおうむのさかずき)』天明8年(1788年)

『八重垣縁結(やゑがきのえんむすび)』天明8年(1788年)

『潮干のつと(しおひのつと)』寛政元年(1789年)

『狂歌大体(きょうかだいたい)』寛政3年(1791年)

当初は狂歌界を牽引する存在でしたが、次第に和歌へと回帰。

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