吉原遊女に必須なのは教養!大河『べらぼう』で蔦重が営む貸本屋が遊女に大人気だった理由とは?【前編】

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吉原遊女に必須なのは教養!大河『べらぼう』で蔦重が営む貸本屋が遊女に大人気だった理由とは?【前編】

2025年1月5日(日)から始まった新しいNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』。

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主人公の「お江戸のメディア王」蔦屋重三郎こと蔦重は、「吉原」で生まれ育ちました。

遊女ほかさまざまな商売を営む人々や多くの遊郭客が訪れる吉原で、蔦屋重三郎が「貸本屋を兼ねた書店」を開業したのは安永元年(1772)、蔦重が23歳頃のことでした。

当時、江戸は始終大きな火災が発生したために、庶民は物をできるだけ購入せず、レンタルするのが一般的。

そのため、蔦重の貸本屋は大繁盛し、「べらぼう」のドラマで登場する吉原の遊女たちも、蔦重から本を借りるのを楽しみにしていたのです。

新吉原の桜。歌川広重(1835年3月頃)wiki

蔦重が扱っていた貸本はどんな本だったのか

蔦屋 重三郎 山東京伝『箱入娘面屋人魚』よりwiki

蔦重が遊女たちに貸していた代表的なものに「赤本」があります。赤本は表紙が赤いのでそのように呼ばれ、桃太郎・さるかに合戦・したきり雀・はちかつぎ姫・ぶんぶく茶釜など、おとぎ話が中心でした。

桃太郎とお供の雉・犬・猿山東庵京伝著『絵本宝七種』(蔦屋重三郎刊)
wiki

また黄色い表紙の「洒落本」も扱っていました。

そちらは遊郭での客と遊女の駆け引きや野暮なお客の愚かさなど、人間・恋愛模様を描いた物語が中心でした。

読書は苦界で過ごす遊女唯一の愉しみ

廓務めの遊女たちの唯一の愉しみだといっても過言ではないのが「読書」でした。

女性たちは貧困で苦しむ家族を救うために、自らの体を犠牲にして男たちの相手をする仕事に付いています。

体も精神も酷使する毎日なのにも関わらず、遊女たちがもらえる休日は正月と盆の、年にたったの二回だけ。

しかも、せっかくの休日でもよほどのことがなければ自由に大門を出ることはできませんでした。

廓勤めは「苦界十年」といわれるほど辛いものだったのです。

蔦屋重三郎が手がけた『青楼美人合姿鏡 北尾重政』

そんな世界の中で読書は「扉を開けば別の世界に飛び立てる」心休まるひとときだったのでしょう。

さらに、階級の高い遊女たちは客の相手をするため、和歌・俳諧・漢詩・書・茶の湯ほか幅広い知識を身に付ける必要がありました。

今のようにインターネットでいろいろと調べたり学んだりすることのできない江戸時代。

本は遊女たちにとっては、知識を仕入れるための教師でもあったのです。

洒落本から本格軍事物まで幅広い本を好んだ

蔦重が遊女たちに貸していた本には以下のようなものがあります。

たとえば、明和7年(1770)に刊行された、洒落本夢中散人寝言先生『辰巳之園』(たつみのその/たつみのえん)。

知ったかぶりで通人をきどった如雷という侍と田舎侍の新五左衛門が、深川仲町の引手茶屋に遊びに行くものの、遊女に袖にされたうえ、その遊女は本当の通人・志厚の待つ横座敷が待っている座敷に逃げ込んでしまう……という深川遊びを面白おかしく描いた最初の洒落本です。

引手茶屋 鈴木春信

また、石山本願寺と織田信長の戦いを描いた本格的な軍記『石山軍記(軍艦)』も人気がありました。信長が勢力を拡大していく過程や本願寺の歴史などを盛り込んだ計六十五巻にも及ぶ大作です。

『石山軍記』豊原国周

遊女たちは、客との会話に困らないよう流行の歴史ものなどはしっかり読んでいたそう。

当時、吉原の遊女たちの識字率は高く、ほぼ全員が読み書きができたともいわれています。

特に妓楼では遊女の手習い(習字・文字を書く)に力を入れていました。

なぜなら、SNSなどない時代、手紙は重要な営業手段だったから。

客の心を繋ぎ止めてまた自分の元に通ってもらうため、男心をそそるような文章を……と力を入れていたそうです。

次回の【後編】に続きます。

煙管を吸いながら手紙を書く遊女(歌川国貞)

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