江戸時代に「狂歌四天王」として活躍した鹿津部真顔とはどんな人物だったのか?【大河べらぼう】

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江戸時代に「狂歌四天王」として活躍した鹿津部真顔とはどんな人物だったのか?【大河べらぼう】

令和7年(2025年)あけましておめでとうごさいます。

本年のNHK大河ドラマは「べらぼう~蔦重栄華之夢噺~」。江戸のメディア王としてその名を馳せた蔦重こと蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう。横浜流星)の生涯が、イキイキと描かれることでしょう。

そんな本作においては、大勢の文化人が登場します。今回はその一人、狂歌界を牽引した鹿津部真顔(しかつべの まがお)を紹介。果たしてどんな活躍をしたのか、調べてみたいと思います。

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「しかめっ面の真顔」?

鹿都部真顔。栗原信充筆

鹿津部真顔は宝暦3年(1753年)に誕生しました。

その出自は不詳、天明元年(1781年)の洒落本『袖かがみ』に初めてその名前が見えます。

またの名を北川嘉兵衛(きたがわ かへゑ)、雅号は紀真顔(きの まがお)・狂歌堂(きょうかどう)・鹿杖山人(かせづえさんじん)・俳諧歌場(はいかいうたば)・万葉亭(まんようてい)・四方歌垣(よものうたがき)・四方真顔(よもの まがお)・好屋翁(すきやおう)・恋川好町(こいかわ すきまち)などなど。

特に後半の雅号から、女好き(または男好き?)であったことが察せられます。

紀姓は本姓なのか、または紀貫之などに憧れたがゆえの自称なのでしょうか。

鹿杖とは先端が二股になっている杖、または僧侶が使う鹿角をつけた杖のこと。俗情と無縁のような名前でありながら、実はムッツリ助兵衛だったのかも知れません。

雅号の一つ一つに込められた思いを推察するだけでも、とても面白いですね。

ちなみに鹿津部真顔という雅号は「しかめっ面の真顔」のもじり?今どきの表現をすればチベットスナギツネのような……とでも言いましょうか。

まぁ要するに、そんな偏屈屋さんだったようです。

狂歌四天王そして狂歌界を二分する重鎮に

『古今狂歌袋』より、もとの木網(元木網、右)。

天明2年(1782年)に狂歌を志して元木網(もとのもくあみ)に弟子入りしたものの、天明4年(1784年)には大田南畝(おおた なんぽ)の門下となりました。

やがて同門の算木有政(さんぎのありまさ)や銭屋金埒(ぜにやの きんらち)らと「スキヤ連」を結成。狂歌界において存在感を発揮していきます。

そして宿屋飯盛(やどやの めしもり)・頭光(つむりの/つぶりの ひかる)・銭屋金埒と並んで狂歌四天王と称されるまでの権威となったのでした。

最盛期では狂歌10首を詠むと銀一両をとるほどの人気狂歌師だったそうです。

寛政6年(1794年)には師匠の大田南畝から「四方」姓の名乗りを譲られ、飯盛と化政期(文化・文政年間)の狂歌界を二分する重鎮となります。

※頭光と銭屋金埒の後日譚についても、改めて紹介しましょう。

高尚過ぎた?孤独な晩年

孤独な晩年(イメージ)

このころになると、生来の偏屈か鎌首をもたげたのか、狂歌界の奔放無軌道ぶりを批判するようになりました。

「昨今の狂歌には我慢がならん!鎌倉・室町期の精神に立ち返るべきだ!」

いわゆる「昔はよかった」という老害あるあるですが、恐らくは風刺や諧謔を効かせる一方、古式ゆかしき品格も保つべきなどと言いたかったのでしょう?

しかし権威者がこういうことを言い出すと、ジャンルが硬直ひいては衰退してしまいがちです。

案の定、鹿津部真顔が狂歌という名前から変えた「俳諧歌」は高尚?過ぎて一般には受け入れられませんでした。

庶民が求めていたのは親しみの持てる笑いであり、しかめっ面で嗜むような趣味ではなかったのでしょう。

これが結果として狂歌界の衰退を招いてしまいました。

それまで狂歌界を牽引してきた鹿津部真顔は、寂しさと貧しさの中で文政12年(1829年)6月6日に世を去ったということです。

墓所は光円寺(こうえんじ。東京都文京区小石川)にあり、今も静かに眠っています。

終わりに

菓子壺に 花も紅葉も なかりけり 口さびしさの 秋の夕ぐれ

【意訳】お菓子入れに何にも入ってないから、口淋しく感じる秋の夕暮れであった。

※藤原定家「見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋(とまや)の 秋の夕暮(新古今和歌集)」のパロディ。

今回は狂歌四天王として活躍した鹿津部真顔について、その生涯をたどってきました。その名が示す通り、しかめっ面の真顔で狂歌を嗜んでいたのでしょう。

果たしてNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華之夢噺~」では、どんな活躍が描かれるのか、今から楽しみにしています!

※参考文献:

岡本勝ら『新版近世文学研究事典』おうふう、2006年2月

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