大河『べらぼう』花魁・花の井は実在の人物!吉原屈指の名妓「五代目 瀬川」の数奇な人生【後編】

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大河『べらぼう』花魁・花の井は実在の人物!吉原屈指の名妓「五代目 瀬川」の数奇な人生【後編】

NHKの大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』で、注目を集めている老舗妓楼「松葉屋」の花魁・花の井(小芝風花)。

大河ドラマ「べらぼう」公式サイトより

花の井は実在の人物で、吉原屈指の名妓(めいぎ)と呼ばれた「五代目 瀬川(せがわ)」です。

実際の花の井の生い立ちの詳細は不明ですが、ドラマの中では蔦屋重三郎こと蔦重とは同じ吉原に生まれ育った幼馴染という設定になっています。

【前編】では、ドラマで描かれていた吉原遊女のランクによる格差や、花魁は教養や芸事のスキルを身に付けた才女であったことなどをご紹介しました。

大河『べらぼう』花魁・花の井は実在の人物!吉原屈指の名妓「五代目 瀬川」の数奇な人生【前編】

【後編】では、花の井花魁こと五代目瀬川についてさらにご紹介したいと思います。

「新吉原日本堤」歌川房種public domain

老舗高級妓楼「松葉屋」で9代続いた花魁「瀬川」

持ち前の美貌、優れた芸事の腕前、教養の高さを兼ね備えていたという花の井花魁は、「五代目瀬川」を継いだ実在の人物でした。

「瀬川」は吉原でもトップクラスの老舗妓楼「松葉屋」を代表するスター花魁で、松葉屋では「瀬川」を名乗る花魁は、享保(1716〜1736)から天明(1781〜1789)まで9人いたそうです。

特に、二代目・四代目・五代目(べらぼうのドラマで小芝風花演じる花の井)が有名でした。

四代目は、前述した教養や芸事はもちろんのこと、文徴明(ぶんちょうめい/中国時代中期に活躍した詩書画文人)風の筆もたしなみ、易経(えききょう)の才もあるという才女として有名だったそうです。

鈴木春信 「鶴に乗る遊女」public domain

親交の深かった遊女が落籍されたときに
「きみまいらせ候処、此里の火宅をけふしはなれられて、涼しき都へ御根引の花、めづらしき御新枕御浦山敷事はものかは……(続く)」という手紙を送っています。

内容は「つらいこの里を離れて住みやすい都に落籍されていくあなた。うらやましいことですが、私が得意な易で占ってみるとお相手とあなたの相性がよく、めでたい仲でした」

という、吉原をあとにする遊女の将来を励ますような文藻(ぶんそう/詩文を作る才能)にあふれたお祝いする内容でした。

五代目瀬川となった花の井

当道座の盲人。正装した検校(右)に挨拶する無官の盲人。寛政年間 wiki

そして、そんな四代目の跡を継ぎ、五代目瀬川となった花の井は、安永4年(1775)に、鳥山検校(とりやまけんぎょう)という人物に落籍されます。

「検校」というのは名前ではなく、室町時代以降の「盲人の中での最高の位」を表すことばです。

鳥山検校は「当道座(とうどうざ)」と呼ばれる男性盲人の自治組織のトップでした。

当道座は、琵琶法師たち自らの芸や団体を「当道」と称したことから始まり、盲人による琵琶・鍼灸・導引・箏曲・三弦などの団体が属していたそうです。

江戸幕府では、当道座のそれらの事業の独占を認めて税金も免除。鳥山検校は莫大な収益をあげてかなりの財力を持っていました。

さらに検校は、高利貸し業を営んでいて、かなり厳しい取り立ても行っていたそうです。

その取り立て方法は、江戸在住の浪人で随筆家の武陽隠士(ぶよういんし)による『世事見聞録』によると「強欲非道」とまで書かれていました。

かなりの財産をなした鳥山検校は、安永4年(1775)に五代目瀬川を落籍しました。財力や権力のある人間が人気の花魁を身請けするのはよくあることですが、このことは「鳥山瀬川事件」とまで呼ばれるほど江戸中で話題になったそうです。

トップクラスの花魁・瀬川は、なぜ悪名高い鳥山検校の身請け話を受けたのか……その理由は定かではありません。

武内桂舟「花魁」

この身請け話が江戸っ子の間で話題になったのは、身請けにあたって多額のお金が支払われたからです。

当時、それほど位が高くない遊女の場合は、約40両ほど(200万円相当)だったそうですが、検校が五代目瀬川の身請けに支払った金額は、なんと1400両(約1億四千万円相当)。

そこまでの大金になったのは、松葉屋に支払う瀬川の身請け金のほかに、残された年季の推定収入や送別の宴費用、妹分の遊女や奉公人などへの祝儀など、さまざまな経費が必要だったそうです。松葉屋はこれによって莫大な財をなすことになりました。

鳥山検校は莫大な私財を投げ打ってまでも、どうしても瀬川を独占したかったほど惚れ込んだのでしょうか。

「吉原 仲之町」photo-ac

この巨額な身請け金で五代目瀬川が落籍された話は話題に話題を呼び、戯作者・田螺 金魚(たにし きんぎょ)により戯作『契情買虎之巻』という悲恋話まで誕生しました。

吉原の遊女瀬川が、亡夫幸次郎によく似た五郷と恋仲になるが、周囲に邪魔され、ついには男児を残して死ぬという悲しいストーリーで、のちに元祖・人情本とされました。

その後、鳥山検校は取り立てが苛烈な悪徳高利貸し一派の親玉として、瀬川を身請けしてからわずか3年後、安永7年(1778年)に江戸幕府から財産を没収、江戸から追放されてしまいます。

瀬川は、鳥山検校のもとを離れて御家人の妻になった、大工の妻になったなどいろいろな説がありますが、江戸中が騒然となったほどの身請け話で有名な花魁なのに、行く末が定かではないというのも不思議な話です。

美貌と才能で吉原きっての名妓として名高かった花の井。

『べらぼう』のドラマでは、花の井は幼馴染の蔦重に想いを寄せているようにうかがえます。

「東源氏の雪と月と花より 花」歌川国貞

NHKの公式サイトによると、鳥山検校は俳優の市原隼人さんが演じるのですが、多額のお金で花の井を身請けするもその心までは完全に自分のものにすることはできず、常に蔦重の姿を感じてしまう……という展開になるとか。

トップクラスの花魁でありながら、恩義のある河岸女郎の姉さん遊女を心配する心優しくきっぷのいい花の井花魁が幸せになるようにと願いつつ、どのような展開になっていくのか今後が楽しみです。

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