相撲、ギャンブル、鳥撃ち、女…戦国時代の武士たちは合戦中にどんな息抜きをしていたのか?
お金がかからない「相撲」
戦国時代の合戦は、短いときは数時間で終わります。しかし城攻めなどということになれば数年間に及ぶこともありました。
戦闘が長引くと、武士たちは本陣を張り、そこで寝起きをすることになります。緊張して敵と対峙するなか、ときには息抜きも必要でした。
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相撲なら体を鍛えられ、戦闘にも役立ちます。また、相手を投げ飛ばせばストレス解消にもなるでしょう。
天正六年(1578年)、織田信長が安土城にて相撲を観戦(Wikipediaより)
もちろん、相撲の取り組みをきっかけにケンカに発展することもあったかも知れませんが、お金がかからない上に身体も鍛えられて一石二鳥、素晴らしい娯楽だったことでしょう。
鳥撃ちや読書もそのほかに奨励された娯楽として、鳥撃ちが挙げられます。鉄砲を抱えて山に入り、山鳩やキジなどを狙うのです。これもまた鉄砲の訓練になりますし、撃ち落した獲物は食卓に並べられました。
たまには鳥料理のようなご馳走を食べることも、士気を維持するには必要なことだったと思われます。
ちなみに徳川家康は、息抜きとして鎌倉幕府の正史である『吾妻鏡』を繰り返し読んでいたといいます。後年、江戸幕府樹立の際にはこの本を大いに参考にしたとか。
しかしこのように、合戦の合間に相撲や鳥撃ち、ましてや読書を楽しむなどというのは、あくまで品行方正な武士たちの息抜きでした。
戦国時代の荒くれ武士の中には、もちろん酒・女・ギャンブルにうつつを抜かす者も少なくなかったようです。なかでも、射幸心を満たしてくれるギャンブルは、下級武士の間で大流行していました。
下級武士はギャンブルがお好き特にギャンブルにのめり込んだのは、足軽や雑兵といった最下級武士たちです。
彼らは金など持っていませんから、食卓で配膳される米や酒、さらに具足まで賭けました。勝てばそれらをごっそり入手できましたが、負ければすってんてんになったといいます。
しかし具足をカタに取られれば戦になりません。そこで大名たちはしばしば博打禁止令を出していました。
それでも具足を賭けたギャンブルが堂々と行われていたのは、戦場に出れば簡単に具足を手に入れられたからです。戦死者の具足を剥ぎ取って持ち帰れば、またギャンブルに興ずることができるというわけです。
そういう博打好きの荒くれ武士ほど戦場で手柄をたてることも多かったので、大名たちも見て見ぬふりをすることもあったとか。
では、当時はどんな種類のギャンブルが流行していたのでしょうか。その実態ははっきりしていません。
とはいえこの頃、すでに丁半賭博があったことは確かなので、おそらくサイコロがあればできる丁半賭博の類でなかったかとみられています。
参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC,Wikipedia
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