人殺しで島流し→脱出不可能の八丈島から世紀の大脱走を遂げた囚人と吉原の遊女「花鳥」 (2/3ページ)
金持ちのボンボン「佐原喜三郎」
佐原喜三郎は、1806年に下総国香取郡佐原村(現・千葉県香取市佐原)の百姓・本郷武右衛門の長男として生まれました。
本郷武右衛門は資産家の百姓。裕福な家庭に生まれた佐原喜三郎は、不自由ない平穏な日々を送っていました。
しかし、29歳のときに賭博で生計を立てる博徒・仁三郎を殺害。殺人事件の容疑者として身柄を拘束された佐原喜三郎は、「島流し(流刑)」を言い渡されてしまうのです。
ちなみに、佐原喜三郎が殺人を犯した動機は諸説あり、金銭トラブルや女性関係だったといわれています。
その後、絶海の孤島に浮かぶ「八丈島」へ流された佐原喜三郎。そこで、人生を変える運命の女性「花鳥」と出会うことになります。
吉原遊廓の遊女「花鳥」花鳥は、江戸新吉原江戸町二丁目伊兵衛店の遊女屋「しげ」で働く女郎のひとり。落語「大坂屋花鳥」にも登場しますが、そこに登場する花鳥については脚色されているため、実際には彼女の素性はほとんど判明していません。
ただし、落語のストーリー同様、自室を放火したことは事実であるとされています。
当時の江戸は建物と建物の間隔がほとんどなく、一度引火してしまうと瞬く間に火が燃え移るため消火が困難でした。そのため、放火は人殺しと同様に死刑が言い渡される大罪だったのです。
しかし、放火罪で拘束された花鳥は当時の未成年に相当する15歳未満であったため、死刑を免れて「島流し(流刑)」を言い渡されました。そして、佐原喜三郎と同じ八丈島へと流されたのです。
出会いと脱走計画1837年5月、佐原喜三郎が八丈島に上陸。彼は、犯罪に手を染めた武士が罪を償うために転身する「虚無僧(こむそう)」となり、島民の恵みや施しを頂戴して乞食同然の生活を送っていました。
約1年後の1838年、佐原喜三郎は放火罪で流されてきた花鳥と出会います。
花鳥は三味線が得意で、佐原喜三郎は三味線の音色に合わせて噺を語る義太夫の名手でした。共通の趣味で繋がった二人はすぐに意気投合し、同棲生活をスタート。そして、佐原喜三郎を中心とした「八丈島脱出計画」が始動したのです。