なぜ私たちは“推し活”をするのか。推しがくれるものと、奪っていくものとは――

マイナビウーマン

なぜ私たちは“推し活”をするのか。推しがくれるものと、奪っていくものとは――
なぜ私たちは“推し活”をするのか。推しがくれるものと、奪っていくものとは――

「推し」というものの存在は、もはや推し活をしていても、していなかったとしても、私たちの日常から遮断することができないほど大きな社会現象となっている。

今、推し活の経済規模は日本を支える一つの大きな産業といえるほど大きい。そして、推し活にお金を払う人の多くは、10代〜30代の若年層なのだという。

あまりにライトで、あまりに自然に生活に入ってくるからこそ、私たちは「推し活とはなんなのか」という部分にはあまり目を向けない。時に自分の生活すらも切り崩しながら推し活を行う人もいるほどだという推しの「魔力」とはなんなのか。そして、もしも自分の生活と切っても切り離せない推しが、もし炎上したとしたらーー?

そんな主題で、芥川賞を受賞した『推し、燃ゆ』を読んで、受賞から数年、止まるところを知らない推し活ブームと私たちとの関係、そして推しという存在について再考してみた。

【この本を読んで分かること】

・「推し」に生涯を捧げると誓った女性の思いや誓い、意志 ・推しという存在との間にある依存関係 ・もしも、推しが一般人になったら? の先にあったもの

■「何のために生きるか」を、教えてくれた推しの存在

私たちは常、心のどこかで生きる、働く理由を探しているのだと思う。仕事を通じての社会貢献、お客さんから言われる「ありがとう」の言葉……仕事の辛さに見合っているとは思えない、少ない給料を生活のために使うだけでは、生き続けていくための理由は生まれない。

『推し、燃ゆ』(宇佐見りん著・河出書房新社)が芥川賞を受賞したのは、2021年のこと。同年、本屋大賞にもノミネートされ、大きな話題を呼んだ。著者の宇佐見先生は当時21歳。推し活を行うメイン層の一部である、Z世代当事者が描く「私と推しとの関係」は、あまりにリアルで鮮烈だったのだ。

今現在、推しがいるという人であれば「推しがいなくなったらどうやって生きていけばいいか分からない」と感じる主人公の気持ちが、痛いほどよく分かるはずだ。そしてその推しが、いつ活動を辞めてしまうか分からない恐怖についても。

逆に今まで推しがいたことがなかった、という人であれば、この本を読むことで「推しがいる人生とはどんなものなのか」を客観的に理解することもできるだろう。推しがいる主人公にとって、推し活はまさに人生そのもので、その情熱は私たちが探さずにはいられない「生きるための理由」にすらなり得るのだ。

■テーマから垣間見える、推しとファンの複雑な関係

多様性が尊重される現代、今や誰もが、努力や継続によって「何者かになることが出来る」時代になったとも言えるが、その努力を自分のため、自分の目的のためだけに続けられるという人は意外と多くはない。

自分の人生のオーナーシップを握るのは、意外と難しい。自分が本当にやりたいこと、成し遂げたいことを突き詰めるよりも、誰かに喜んでもらえることをする方が、簡単に満足感を得やすい。そしてまさに推し活とは、推しを応援したい、少しでも助けたいというその一心から始まる。

作中では、主人公を通してそんな「推し活の魔力」が描かれていく。主人公と同じく、自分の人生には絶望していても、推しという”他者”のためなら頑張って働けるという人はたくさんいるだろう。

大好きな人のために身を粉にすることは、他人からすればバカバカしく見えるのかもしれないが、自分のためには頑張れないという人の人生に、大きな希望を与える。

だけど身近にある人間関係との違いは、信頼関係が一方的であることだ。ファンがどれだけ推しを応援しても、その関係は決して対等ではない。しかし対等ではないからこそ、推しは夢を見させ続けてくれる存在となる。

恋愛や友情といった関係の中では、相手は自分の思い通りに行動してくれるわけではないものの、お互いの人生を左右し合う。推し活もある意味、お布施という形で推しの人生を左右できるのだが、推しは1人で、ファンは数百、数千なのだから、1:1の関係としては対等にはなり得ない。

言われてみれば理解できる。けれど実際推し活しているオタクは、推しとの間に横たわる毒々しいリアルさには目を向けたくないはずでもある。だからこそこの物語に触れれば、自分と推し活との関係性について、客観的に考えざるを得ないのだ。

■救っては傷つけるーー推しがくれるもの、奪っていくもの

推し活こそが自分の人生で、生きる希望。そう思える主人公の人生を羨ましく感じる人もいるかもしれない。日本人は国民性として、自己肯定感が下がりやすいという。自分を好きになれなくても、生きる希望を見つけている主人公は、ある意味とても強い意志を持っている。

その一方で、推しの一挙手一投足に苦しめられ、情緒を乱す瞬間も多い。3次元に推しがいる以上、相手は人間で、時にプロとしてはあり得ないようなミスをすることもある。

だがSNS時代の今は、他人の声も大きく聞こえやすく、推しへの叱咤は自分への叱責として重くのしかかる。そして、どんなに推しを思ったとしても、その行動をコントロールすることはできるようにならない。作中には、そんな「依存対象としての推し」の危うさも描かれる。

推しがいる人生の幸福と、推しがいる人生の不自由さ。そのどちらもを描くことで、私たちが「大推し活時代」に何を考えるべきなのかが、暗に伝えられている気がした。

推し活も適量で済ませられればそれが1番いいのかもしれないが、好きという気持ちは止められない。グッズを集めて、課金をするほど、自分の人生にまとまり感を覚えることも確かなのだ。

だけど、いつ次の推しに出会ってしまうか分からないほど、推しの供給過多が起きているのも現代だ。生きる目的となり得る「神」である推しとの関係の強固さ、そして儚さーー無宗教国・日本に生まれた“新興宗教”でもある推し活という特殊な文化。当事者である人もそうではない人も、時代を映す鏡のような本として、一読の価値があるはずだ。

(ミクニシオリ)

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