史実でも蔦屋重三郎とはライバル関係!版元・西村屋与八(西村まさ彦)とはどんな人物だったのか【大河べらぼう】 (3/4ページ)

Japaaan

礒田湖龍斎によって100枚以上が描かれたほか、同じ名前で鳥居清長(とりい きよなが)や勝川春山(かつかわ しゅんざん)も手がけています。

しかし西村屋与八は蔦屋重三郎と決別し、この『雛形若菜初模様』を単独で版行するようになりました。

二人の間に利権の対立でもあったのでしょうか。これを機に西村屋与八と蔦屋重三郎はライバル関係となったのでした。

蔦屋重三郎を圧倒?浮世絵の発展に貢献

一筆斎文調の美人画(画像:Wikipedia)

『雛形若菜初模様』をキッカケとして蔦屋重三郎と対立した西村屋与八は、江戸の美人画を制するようになっていきます。

蔦屋重三郎も対抗するため東洲斎写楽(とうしゅうさい しゃらく)や喜多川歌麿(きたがわ うたまろ)を推して世に送り出しました。

しかし西村屋与八も歌川豊国(うたがわ とよくに)や歌川国貞(くにさだ)、勝川春潮(かつかわ しゅんちょう)・葛堂栄隆(かつどう えいりゅう)・鳥文斎栄之(ちょうぶんさい えいし)ら多数の絵師を起用。人材層の厚みで圧倒していく感じですね。

また歌川広重(うたがわ ひろしげ)や葛飾北斎(かつしか ほくさい)の風景画も世に広め、浮世絵の発展に貢献しました。

こうして見る限り、二人の対決はどちらかと言えば西村屋与八の優勢。少なくとも蔦屋重三郎にとって難敵であったことは想像に難くありません。

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