史実でも蔦屋重三郎とはライバル関係!版元・西村屋与八(西村まさ彦)とはどんな人物だったのか【大河べらぼう】
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吉原細見『嗚呼御江戸』や画集『一目千本』の刊行を通して、出版人の資質に目覚め始めた蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう。横浜流星)。
最初は手探りで事業を起こし、悪戦苦闘する中で様々な出会いや対立がありました。
今回は蔦屋重三郎を触発したであろう西村屋与八(にしむらや よはち。西村まさ彦)を紹介。果たして彼はどんな生涯をたどったのでしょうか。
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歌川豊国「西村屋与八」(画像:Wikipedia/Sianljones氏)
西村屋与八は三代まで続いた江戸時代の版元ですが、NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」に登場するのは、恐らく初代と考えられます。
初代西村屋与八は生没年不詳、ただし寛政9~10年(1797~1798年)ごろに描かれた肖像に「七十一翁永寿堂日比野」とあります。
そこから遡ると、享保12~13年(1727~1728年)ごろに生まれた可能性があるかも知れません。
苗字は日比野(ひびの)、永寿堂(えいじゅどう)とも栄寿斎(~さい)とも号しました。
そんな西村屋与八は鳥居清満(とりい きよみつ)や鳥居清広(きよひろ)、鈴木春信(すずき はるのぶ)・一筆斎文調(いっぴつさい ぶんちょう)・勝川春章(かつかわ しゅんしょう)・勝川春英(しゅんえい)・歌川豊春(うたがわ とよはる)などの作品を世に送り出します。
やがて蔦屋重三郎・鶴屋喜右衛門(つるや きゑもん)と並び、天明・寛政期の江戸を代表する版元として存在感を示すのでした。
蔦屋重三郎との出会いと対立![](https://image.dailynewsonline.jp/media/d/0/d08b05607dfb4af22e0b79bafbad1138497738c3_w=666_hs=443ab9e2dac93f8b307a410f495b8afc.png)
蔦屋重三郎との関係は、安永6年(1777年)から天明2年(1782年)ごろにかけて版行した、礒田湖龍斎『雛形若菜初模様(ひながたわかなのはつもよう)』の合梓に始まります。
この『雛形若菜初模様』とは吉原遊女の絵姿を鮮やかに描いた当時のファッション情報紙と言えるでしょう。
礒田湖龍斎によって100枚以上が描かれたほか、同じ名前で鳥居清長(とりい きよなが)や勝川春山(かつかわ しゅんざん)も手がけています。
しかし西村屋与八は蔦屋重三郎と決別し、この『雛形若菜初模様』を単独で版行するようになりました。
二人の間に利権の対立でもあったのでしょうか。これを機に西村屋与八と蔦屋重三郎はライバル関係となったのでした。
蔦屋重三郎を圧倒?浮世絵の発展に貢献![](https://image.dailynewsonline.jp/media/9/e/9e4bf016b6b53119cb432c3ae134a04ff0490e82_w=666_hs=f6a46898ec6dd37e87782cb4c09349bb.png)
『雛形若菜初模様』をキッカケとして蔦屋重三郎と対立した西村屋与八は、江戸の美人画を制するようになっていきます。
蔦屋重三郎も対抗するため東洲斎写楽(とうしゅうさい しゃらく)や喜多川歌麿(きたがわ うたまろ)を推して世に送り出しました。
しかし西村屋与八も歌川豊国(うたがわ とよくに)や歌川国貞(くにさだ)、勝川春潮(かつかわ しゅんちょう)・葛堂栄隆(かつどう えいりゅう)・鳥文斎栄之(ちょうぶんさい えいし)ら多数の絵師を起用。人材層の厚みで圧倒していく感じですね。
また歌川広重(うたがわ ひろしげ)や葛飾北斎(かつしか ほくさい)の風景画も世に広め、浮世絵の発展に貢献しました。
こうして見る限り、二人の対決はどちらかと言えば西村屋与八の優勢。少なくとも蔦屋重三郎にとって難敵であったことは想像に難くありません。
終わりに(4)『雛(ひな)形若菜』の甘い罠(わな)
初回放送日:2025年1月26日蔦重(横浜流星)は西村屋(西村まさ彦)と共に、呉服屋の入銀で錦絵の制作を順調に進めるが…。城内では、田沼意次(渡辺謙)による賢丸(寺田心)の養子計画に暗雲が…。
※NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより
その後、西村屋与八がいつまで生きたか、詳しいことはわかっていないようです。
第4回放送「『雛形若菜』の甘い罠」で初登場した西村屋与八、今後も西村まさ彦の好演に期待しましょう!
※参考文献:
小林忠ら『浮世絵の鑑賞基礎知識』至文堂、1994年 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典 第3巻』大修館書店、1982年 吉田漱 『浮世絵の基礎知識』 雄山閣、1987年日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan