110歳まで描かせてくれ!浮世絵に生きた画狂・葛飾北斎の恐るべき執念を見よ【大河べらぼう】
江戸時代を代表する浮世絵師として『富嶽三十六景』はじめ多くの傑作を残し、ゴッホなど西洋芸術にまで多大な影響(ジャポニスム)をもたらした葛飾北斎(かつしか ほくさい)。稀代の変人・画狂としても知られ、その生き方は人々に強烈なインパクトを与えました。
物心ついた時から絵筆一筋に生き抜いた彼の志は、老境にさしかかっても衰えを知りません。
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「70歳以前の作品はロクなモノがない」勝川春朗(北斎)の処女作とされる「四代目岩井半四郎 かしく」
己(われ)六才より物の形状を写(うつす)の癖ありて
半百(はんぴゃく)の此(ころ)より数々画図を顕す(あらわす)といへども
七十年前(よりまえに)描く所は実(まこと)に取るに足(たる)ものなし
七十三才にして稍(やや)禽獣虫魚(きんじゅう・ちゅうぎょ)の骨格(こっかく、)草木(そうぼく)の出生(しゅっしょう)を悟(ご)し得たり
故に八十六才にしては益ゝ(ますます)進み九十才にて猶(なお)其(その)奥意を極め
一百歳にして正に神妙ならん歟(か)
百有十歳にしては一点一格(一画)にして生るがごとくならん
願くは長寿の君子(くんし)予(よ)が言の妄(もう)ならざるを見たまふべし
画狂老人(がきょうろうじん)卍述(まんじにじゅつす)※葛飾北斎『富嶽百景』初版跋文/天保5年(1834年)
【意訳】私は6歳の時から、物を描き写すのが好きでした。
50歳ごろから世の中に浮世絵を出すようになったものの、70歳より前に描いた絵は、正直ロクなもんじゃありません。
73歳になって、少しは動物や植物の姿がつかめるようになりました。この調子で行けば、86歳でようやく一人前となり、90歳で絵の何たるかを理解できることでしょう。
そして100歳で神妙の域に達し、110歳まで生きられたら、筆先の一点一筆に生命が宿るはずです。
なので長寿の神様、お願いですから私にそれだけの寿命をお与えください。そうすれば、いま私の言ったことがホラでないと証明できるでしょう。
以上につき、画狂老人が大真面目(※)に述べます。
(※)画狂老人の号については、画狂老人卍までが号なのか、あるいは画狂老人が卍に述べているのかは解釈が分かれるところでしょう。
卍はいわゆるマジ(真面目)の意であり、平成末期から令和初期にかけて一部で聞かれた俗語「マジ卍」に通じるものを感じます。
ここでは北斎が、自身の回顧録と人生計画?を大真面目に述べたものと解釈しました。
布団をかぶり、這いつくばるように絵を描き続けた北斎(右)。露木為一「北斎仮宅之図」
……北斎が『富嶽百景』の初版跋文を書いたのは75歳。つい数年前までの作品は、取るに足りないものだと断言しています。
ちなみに50歳(半百)ごろからデビューしたかのように言っていますが、実際には20歳となった安永8年(1779年)に処女作「瀬川菊之丞 正宗娘おれん」や「岩井半四郎 かしく」を発表。それからたくさんの浮世絵を世に送り出しました。
それらも自分の作と名乗れるようなもんじゃないと言うのだから、どれだけ高いハードルを自らに課していたのでしょうか。
デビュー?(本人発表)から20余年、73歳で生き物の身体構造や植物の姿が描けるように。ようやく少しはマシになってきた……と当人は思っていたようです。
ここから先は未来予測になりまして、86歳で一人前になり、90歳で奥義にたどり着く見通しを立てました。
そして100歳でとうとう神妙の域に達し、110歳まで生きられたら、その一筆々々がまるで生きているように生命を宿すはずだと言います。
我が手でその奇跡を成し遂げたい。いや、自分なら必ずできる。やって見せる。
だからどうか、どうか110まで生かして欲しい。そうでなくては描かずに死ねるか!そんな執念が伝わってきます。
「んなこと言ったってお前さん、110歳なんてそうそう生きられるモンじゃないよ。とうとうボケちまったのかい」
人々はきっとバカにして笑ったことでしょう。
でも、北斎は大真面目の卍でした。
「うるせぇ、嘘でもホラでもねぇぞ。俺はできる。いや、やるんだ。後は寿命だけが頼みなんだ……」
世に大真面目ほど滑稽で、恐ろしくて、そして胸の痛くなる存在はいません。
絵に対するあくなき執念を燃やし続けた北斎を、いま誰が笑えるのでしょうか。
エピローグ北斎(画狂老人)自画像。笑っているのか、泣いているのか。見ていると、何とも胸が痛くなる。
しかし北斎の願いは届かず、嘉永2年(1849年)4月18日の暁七ツ(午前4:00ごろ)に、老衰で人生に幕が引かれました。
わずか90歳という若すぎる最期。その無念たるや、察するに余りあります。
あとほんの20年くらい、生かしてくれたっていいじゃないか。そんな北斎の叫びが、どこからともなく聞こえたような……。
もし北斎が110歳まで生きたら、その没年は明治2年(1869年)。生きているような一筆を、ぜひ拝みたかったですね。
とは言っても90歳まで生きた訳ですし(最期まで描いていたかはともかく)、浮世絵の奥義にはたどり着けたのでした。
一人前となった北斎の作品は、令和の現代も私たちを魅了し続けています。
NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」で登場する葛飾北斎は30代までですが、どんな作品を魅せてくれるのか、楽しみですね!
※参考文献:
飯島虚心ら『葛飾北斎伝』岩波文庫、1999年8月 瀬木慎一『画狂人北斎』河出書房新社、2020年5月 田中英道『老年こそ創造の時代 「人生百年」の新しい指針』勉誠出版、2020年2月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan