中国地方有数の工業都市・倉敷は、何故〝伝統的町並み〟を残せたのか? 「運が良い」だけじゃない理由
「ヨーロッパ諸󠄀国はどうやって旧市街を維持しながら経済発展してるんだ我が国は近󠄁代建築ですら失われ続けているというのに」
2024年12月18日、Xユーザーのささも(@ZEKE0326_15)さんが投稿したそんなつぶやきが、X上で注目を浴びた。
「たしかに」と頷いた読者もいるかもしれない。しかし......。
19日、ささもさんの投稿を引用する形で、次のようなポストが投稿された。
「高度経済成長期に先手を打った倉敷は本当に凄いと思う」
Xユーザーのびるまち(@BIRUMACHIOSAKA)さんが紹介したのは、岡山県倉敷市の「美観地区」と呼ばれるエリアの光景だ。
その名の通り美しい外観の街並みには、約2万件の「いいね」のほか、
「倉敷美観地区良いよね。昔行きました」「倉敷は本当に良い街だった。 また行きたい」「無電柱化もしっかりとやってますね。 電柱がどれほど街の景観を悪化させるかわかります」「ちょうど保存を決めたタイミングが良かったんでしょうね」
といった声が寄せられ、話題に。
中国地方の中でも有数の工業都市である倉敷市は、なぜ由緒ある古い街並みを残すことができたのか? Jタウンネット記者はまず、投稿者・びるまちさんの話を聞いてみた。
江戸期の建物と明治の洋風建築の調和びるまちさん、倉敷という比較的規模の大きい都市の中心部に、広い範囲で古い街並みが保存されていることに感動していると語る。
「ヨーロッパの旧市街って、近い将来行こうと思っているエストニアのタリンの旧市街が思い出しまして、あそこも倉敷と似たような感じで、街の中心部の一部が歴史地区として保存されていて、歴史地区から一歩外を出ると全然雰囲気が違っていて、普通にビルや大きな通りがあるのが倉敷と似てるかなぁと思います」「日本の街並みは、多少の違いはあれど戦後の高度経済成長期やバブル経済期に一気に雰囲気が変わっていったので、その時代あえて中心部の一部に成長を止めて色々と街並み保存の活動し、令和の時代にも戦前の街並みを残した倉敷は、改めて凄いなと思います」(「びるまち」さん)
倉敷の中で、とくに好きな場所を聞くと、「有名な倉敷川から見た美観地区の街並みと、観龍寺から見た街並みですね。ああいう瓦屋根が続く景色も今じゃなかなか見れない風景だなと思っています」と答えた。
ところで倉敷になぜ古い街並みが残されているのだろうか?
倉敷市役所公式サイト上の美観地区の沿革を記したページによると、美観地区は江戸時代に繫栄したエリアだ。元から多くの人々が居住していたが、1642年に幕府直轄地の天領として幕府の支配下に置かれてからは、物資輸送の集散地として栄えた。有力な町人層も現れ、人口も元禄年間から文政年間の約130年間に2倍に増加したという。
こうした背景のなかで、保存地区の特性である本瓦葺塗屋造りの町屋と土蔵造りの蔵などを中心とした町並が形成された。その後、若干の洋風建築(美術館、旧町役場)が建てられたが現在では違和感は無く、鶴形山の緑や倉敷川畔の柳並木と調和し、優れた歴史的景観を形成している。(倉敷市公式サイトより)
明治維新後、社会は大きく変動し、倉敷の賑わいはかつてほどではなくなった。
そんな中、「商人の町」で知られた倉敷から、関西経済界に飛躍する実力者が登場した。大原氏一族だ。
彼らは倉敷の文化の発展に大いに貢献し、彼らの発案で倉敷川畔にも洋風建築のモダンな美術館や建物が建てられるようになる。それが江戸期の建物と明治・大正期の洋風建築が倉敷川の自然と溶け合って、独特なムードを生み出したのだという。
大原氏一族の中には、町並み保存の重要性に着目した人物もいたという。
彼は「倉敷をドイツの歴史的都市ローテンブルクのようにしたい」との考えを抱いたが、戦争を目前にして実行に移すことはできなかった。しかし、この思想は後の文化人に多大な影響を与え、建築や民芸といった立場での戦後の保存活動へとつながっていった。(倉敷市公式サイトより)
そして高度経済成長期の真っ最中である昭和30年代後半、これら有志による先覚者主導型の活動は、行政・住民主体の取り組みへと拡大していき、倉敷市は1969(昭和44)年には保存計画を告示し、「倉敷川畔特別美観地区」が指定されたのだ。
そして、公式サイトの同ページは、こんな言葉で締めくくられている。
400年近くの歴史をもつ町並み。天災に見舞われることも少なく、戦災にも遭うことなく今日を迎えた。しかし、それだけではよりよい保存は望めなかったにちがいない。今日に至るまでには、町並みの文化的な価値にいち早く目を向けた先覚者たちの多大な尽力と、地域住民の町を愛する気持があったからであろう。
運が良かった、ということももちろんあるだろう。しかし何より大切なのは、「残そう」という強い気持ちなのだ......。