日本が世界に誇る「崩れない石垣」に秘められた建築技術!戦国時代の城はプロによって支えられていた

築城のスペシャリストたち
戦国大名の中でも、特に豊臣秀吉や池田輝政、加藤清正は巧みな築城技術を身につけていたと言われています。
しかし、どれほどの知識と資金を持っていても、高度な技術をもつ専門家の助けなしに巨大な城を築くことはできません。今も昔もそれが現実です。
例えば、石垣を構築する石工集団としては、近江穴太を本拠とした穴太衆がよく知られています。
現存するお城の8割を手掛けた!?織田信長も惚れ込んだ石工職人集団「穴太衆」の素晴らしい技術とはそのルーツは朝鮮から渡来した人達です。彼らは古墳の石室造りなどを担当しながら代々技術を伝え、戦国時代には城の石垣建築のスペシャリストとなっていました。
彼らは戦国時代後期から江戸初期にかけては引っ張りだこで、各藩に穴太衆が召し抱えられていたほどです。

また、城郭の建物部分の建築責任者としては、大工頭や大工棟梁が挙げられます。
大工頭と言っても大工の長という意味ではなく、技術官僚の最高位のことです。
彼らの中でも特に有名なのは、京都大工頭という役職を世襲していた中井家でしょう。豊臣秀吉の時代から大規模な土木工事に従事しており、家康にも重用され、江戸時代の城建築に大きく貢献をしました。
崩れない石垣のヒミツところで、彼らの築いた城の石垣は、なぜああも「崩れない」のでしょうか。
城の石垣は、単純に石を積み重ねているわけではありません。どのも美しい曲線を描いていますが、そうした曲線は地震でも石垣が崩れないように綿密に計算されたものなのです。
実際、石を単純に積んだだけだと、地震が起きた際に石垣は上の方から簡単に崩れてしまいます。
ところが石をズラして曲線状に積み重ねると、石垣にかかる力は石垣の内側と下方に分散します。
しかも一番下の土台は、粘土を敷いた上に根石を並べてあります。このように土台を柔構造にして弾力性をもたせると、上からのエネルギーが吸収されるのです。

そういう工夫によって、地震で石垣全体が揺れても、崩れないようになっているのです。
世界建築史上の傑作地震で石垣が揺れた場合、最も大きな力が加わるのは下の四隅です。
そのため、四隅の石は長方形の石を密着させる算木積みという技法が用いられており、精密に組み上げられています。
さらにその上にヤグラを載せて押さえるので、四隅はなお崩れにくくなるわけです。
お城の四隅にヤグラが載せてあるのは単に物見のためだけではなく、そこに重量をかけるためなのです。
逆に言えば、四隅のヤグラや天守を取り除いてしまうと石垣はもろくなる理屈です。実際、小田原城は大震災のときに天守閣がなかったため、石垣が壊れてしまいました。

日本の城の石垣は、高度な力学と建築技術を組み合わせた世界建築史上の傑作の一つといえるでしょう。
戦国大名たちは、こうした専門技術を持つスペシャリストたちの価値をよく理解していました。
だから彼らは製材職人や大工などに免税の特典を与え、築城はもちろん、戦場での遮蔽物の構築などにも従事させていたのです。
この他にも、左官や鍛冶、家具装飾を担当する細工師、障壁画を担当する絵師、さらに瓦師などの技能集団も築城に参加していました。
参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC,Wikipedia
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