「武士」の本当の姿とは?戦国時代から江戸時代、明治維新まで変化してきたその役割

武士と聞くと、「主君に忠義を尽くし、戦いに生きる者」というイメージを持つ読者も多いかもしれません。しかし、武士の歴史を振り返ると、その役割や生き方は時代とともに大きく変化してきました。
果たして、武士は本当にずっと「侍(さむらい)」としての姿を貫いていたのでしょうか。今回は、そんな武士のあり方を見ていきたいと思います。
関連記事:
「武士」のルーツは”地方の無法者”ではない!実は朝廷や皇族と密接な関係にあった武士の実態【前編】 平安時代に登場した「武士」武士が歴史に登場したのは平安時代のことです。当時、貴族が政治の中心にいましたが、地方では自分の土地や家を守るために武力を持つ者たちが現れました。彼らがのちに「武士」と呼ばれるようになり、貴族に仕えながら、しだいにその力を強めていきました。
そして、鎌倉幕府を開いた源頼朝のように、武士が政治を動かす立場へと成長していったのです。このころから、武士は「戦う者」としての地位を確立しました。
しかし、戦国時代になると、武士の生き方は大きく変わります。
この時代は、日本各地の武将たちが勢力争いを繰り広げ、戦が絶えませんでした。そのため、武士にとって最も大切だったのは「忠義」ではなく、「生き残ること」でした。
たとえば、豊臣秀吉や徳川家康も、もともとは別の主君に仕えていましたが、状況を見極め、新しい勢力に加わることで最終的には天下を取ることに成功しました。
つまり、戦国時代の武士は、単なる戦士ではなく、時代の流れを読みながら行動する「戦略家」でもあったのです。また、この時代の武士は、戦うだけでなく、城を運営し、領地の農民を管理するなど、政治や経済の役割も担っていたのです。
江戸時代、大きく変わった武士の役割さて、戦乱の時代が終わり、1603年に徳川家康が江戸幕府を開くと、武士の役割は再び大きく変わりました。
江戸時代は約260年間続きましたが、大きな戦争はほとんど起こらず、武士が戦う機会も失われました。そのため、武士は幕府の政治を担当する役人のような立場となりました。
幕府は「士農工商」という身分制度を明確にし、武士を社会の上位に位置づけましたが、経済を担っていたのは商人だったため、武士の暮らしは次第に苦しくなっていきました。
江戸時代の武士は剣術の訓練を続けていましたが、実際には役所での仕事や町の治安維持が主な職務となり、「戦う者」というよりは「公務員」のような役割を果たしていました。
やがて幕府が倒れ、1868年に明治維新が起こると、武士という身分は廃止されました。明治政府は「四民平等」を掲げ、すべての人が平等に働く社会を目指しました。その結果、武士たちは公務員や軍人、教師、実業家など、さまざまな職業に就くことになりました。
一方で、一部の武士は明治政府に不満を持ち、西南戦争(1877年)などの士族の反乱を起こしました。それでも、時代の流れには逆らえず、武士の時代は完全に終わりを迎えるのです。
こうして振り返ると、武士の生き方は時代とともに大きく変わってきたことがわかります。戦国時代の武士は、自分の生き残りを最優先にする「戦略家」でしたが、江戸時代の武士は戦わずに政治を担当する「公務員」のような存在でした。
そして、明治維新以降は、武士という身分そのものがなくなりました。私たちがよくイメージする「主君に忠義を尽くす侍」という姿は、武士の歴史のほんの一部分にすぎません。実際の武士は、戦士であり、政治家であり、経営者であり、公務員でもあったのです。
歴史を学ぶことで、武士が時代によってどのように生きてきたのかを知ることができます。読者の皆さんは、どの時代の武士に最も興味を持ちましたか?
参考
関幸彦『武士の誕生』 (2013 講談社)
髙橋昌明『武士の日本史』(2018 岩波書店)
五味文彦『武士論 中世史から見直す』(2021 講談社)
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan