大河『べらぼう』にも登場、放蕩息子・長谷川平蔵はどう出世した?鬼の平蔵 誕生秘話【前編】 (3/4ページ)
『鬼平犯科帳』シリーズの著者・池波正太郎(Wikipediaより)
若い頃の名前が銕三郎(てつさぶろう)だったことから「本所の銕」として恐れられ、のちに密偵となる相模の彦十やおまさとはこの「本所の銕」時代からの知り合いです。
平蔵の生誕地は本所ではなく、旧屋敷があった赤坂の築地中之町(現在の港区赤坂)でした。
彼が正妻の子でなかったのは事実で、大名や幕臣の系譜が記された『寛政重修諸家譜』では、母は「某氏」となっており名は不明です。
長谷川家には上総国武射郡・山辺郡(千葉県東部)に知行地があったため、実母はこの地から奉公に上がった女性だとする説もあります。
継母とは確執なし長谷川家は、将軍や世継ぎの身辺を警護する御書院番や小姓組番を代々務める名門でしたが、400石の小身でした。
その屋敷は平蔵が5歳の時に築地湊町へ移り、その後、本所に再移転しました。死没年から逆算すると、平蔵は延享2年(1745年)の生まれだったことになります。
父・宣雄の正妻は平蔵が5歳の時に亡くなっており、以降、後妻である家女に育てられました。
