大河ドラマ『べらぼう』に放蕩息子として登場!長谷川平蔵はどう出世した?鬼の平蔵 誕生秘話【後編】 (3/4ページ)

Japaaan

天明4年(1784年)には徒士頭となり、御目見え以上の身分の者が着る礼服「布衣」が許され、天明6年(1786年)に番方トップの御先手組弓頭になります。

これは戦時において弓矢を持って先陣を務める部隊長で、平時においては諸門の警備にあたりました。家督を相続してたった一年で、警備担当の最高位となったわけです。

そして、天明7年(1787年)に火付盗賊改の長官となりました。これは御先手組弓頭との兼任でした。

遅かった初御目見え

史料から見る限り、平蔵が放蕩生活を行ったのは家督相続直後の非役の時代、すなわち一年ほどだったことになります。

その時は放蕩息子ぶりを発揮したのでしょうが、その後は上記の通り、人が変わったように出世街道を上り詰めていったのです。

これだけを見ると、放蕩息子としての平蔵と、公務員としての働きぶりが認められた頃の平蔵のギャップに混乱しますね。

おそらく平蔵はもともと生真面目な性格だったのでしょう。ただ、放蕩生活を送った時期に「何かあった」ことが伺える手掛かりはあります。

平蔵が公式の記録に初めて登場するのは明和5年(1768年)の記事で、23歳の時に10代将軍徳川家治に初御目見えしています。

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