死因は暗殺か!?18歳の若さで謎の死を遂げた、幻の11代将軍・徳川家基の生涯【大河ドラマべらぼう】 (2/3ページ)
翌明和3年(1766年)4月7日には5歳で元服、従二位・権大納言と叙せられます。
周囲の期待を集めながら成長していく家基。やがて政治にも興味関心を高め、勉学にも力を入れていきました。
これは名君間違いなしと人々が喜ぶ一方で、批判の的にされていた田沼意次らは面白くありません。
元々お知保の方は意次が推薦した≒息がかかっていたのに、生まれた男児が成長して自分たちを批判するとは計算外でした。
さてどうしたものか……意次らが悩んでいた安永8年(1779年)2月24日、家基は18歳という若さで急死してしまったのです。
徳川家基の死因は?
徳川家基のあまりに若すぎる死に際して、様々な噂が立ったのは言うまでもありません。
一、政敵・田沼意次による暗殺説。
一、一橋治済(生田斗真)による暗殺説。
こと一橋治済は我が子である豊千代(のち第11代将軍・徳川家斉)を将軍位に就けたい思惑がありました。
実際に我が子の徳川家斉が第11第将軍となっています。よく「その死によって最も利益を得た者が真犯人」などと言われますが、その説に従えば、一橋治済が最も疑いの濃い人物と言えるでしょう。
ちなみに少し時代が下り、来日していたシーボルト(ドイツの博物学者)は、家基が「オランダから輸入したペルシャ馬を試そうとしたところ落馬してしまい、それが元で亡くなった」と認識していたようです。