戦国武将・織田信長は本当に”革命児”だったのか? 最新研究でわかった信長の本当の姿

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戦国武将・織田信長は本当に”革命児”だったのか? 最新研究でわかった信長の本当の姿

織田信長といえば、「革新的な武将」「革命児」として語られることが多い人物です。楽市楽座や鉄砲の大量導入、比叡山焼き討ちなど、これまでの常識を打ち破った言動から「戦国時代を終わらせた男」とも呼ばれています。

しかし、最近の研究では「革命児・信長」というイメージの多くが江戸時代以降に作られたものであり、実際の姿とは少し違っている可能性があることがわかってきました。

今回は、信長の本当の姿に迫りながら、その真実を探っていきましょう。

織田信長像 長興寺所蔵

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比叡山焼き討ち ―本当に残酷な事件だったのか?

織田信長の冷酷な一面を象徴するエピソードとして有名なのが、1571年の比叡山焼き討ちです。

「信長が延暦寺を徹底的に攻撃し、僧や民衆を無差別に殺害し、寺院を焼き尽くした」

そう語られることが多い事件です。

織田信長の残虐性を表す逸話「比叡山焼き討ち」実はそんなに酷い被害を被ったわけではなかった?

しかし、近年の発掘調査では、比叡山の主要な建物が焼失を免れていた可能性が高いことがわかっています。もし信長が徹底的に延暦寺を焼き尽くしたのであれば、山全体が廃墟になっているはずですが、そうではありませんでした。

全てを焼き払ったという説は、後世に誇張された可能性が高いと考えられています。

確かに信長は比叡山の僧兵勢力を排除するために武力を行使しましたが、その目的は純粋な破壊ではなく、政治的な勢力の整理だったのです。この件が特別に残酷だったというよりも、戦国時代の武将として「合理的な判断」を下した結果と見ることができます。

長篠の戦い―鉄砲三段撃ちは本当か?

次に、信長の革新性を語る上で欠かせないのが1575年の長篠の戦いです。この戦いでは、武田軍に対して信長が大量の鉄砲隊を配置し、従来の戦術を変えたと言われています。

長篠合戦図屏風(徳川美術館蔵)Wikipediaより

「三段撃ち」という有名な戦術がこのとき使われたと語られていますが、近年の研究では三段撃ちは実現不可能であることが指摘されています。

当時の鉄砲は装填(そうてん)に時間がかかるため、三段撃ちのような連続攻撃は現実的ではなかったようです。実際には、多くの鉄砲隊を一斉に撃たせ、短期間で攻撃を集中させる戦法を使った可能性が高いとされています。つまり、三段撃ちという話は後世の脚色だったというわけです。

とはいえ、信長が鉄砲という新しい武器を積極的に取り入れ、大量生産して戦場に投入したことは間違いありません。このような「新しいものを取り入れる柔軟な姿勢」は、信長の大きな特徴のひとつです。

講談や小説で生まれた「革命児・信長」

織田信長が「革命児」として強調される背景には、江戸時代以降の講談や小説の影響があります。これらの物語では、信長はあえて残酷に描かれることで「冷酷なカリスマ性」が強調され、物語としての魅力を高めました。

こうして、信長は単なる戦国武将のイメージから「時代を変えた英雄」へと変貌を遂げたのです。

信長は本当に革命児だったのか?

では、信長は本当に「革命児」だったのでしょうか? 結論としては「そうとも言えるし、そうとも言えない」のかもしれません。

確かに信長は新しい政策や戦術を積極的に取り入れましたが、それらは戦国時代の武将として合理的な判断をした結果とも言えます。

信長が何かを壊して全く新しい時代を作ったというよりも、「新しい要素を既存のルールにうまく取り入れたリアリスト」だったのです。

信長が現代に残したもの

信長が行った政策や戦術は、その後の時代に大きな影響を与えました。楽市楽座によって自由な経済活動が促進され、鉄砲を活用した戦術は戦国時代の戦い方を変えました。彼が生きたのはわずか49年でしたが、その影響は日本の歴史に深く刻まれています。

「革命児・信長」というイメージも面白いですが、実際の彼はもっと現実的で、冷静な判断力を持った武将だったのかもしれません。歴史を学ぶときは、「イメージ」と「事実」を区別して考えることが大切です。

織田信長という人物をもう一度冷静に見つめてみると、意外な一面が見えてくるかもしれませんね。

参考文献

藤木久志編『〈戦国大名論集17〉織田政権の研究』(1985 吉川弘文館) 長屋隆幸「長篠の戦い」『信長軍の合戦史』(2016 吉川弘文館) 西ヶ谷恭弘『考証 織田信長事典』(2000 東京堂出版) 日本史史料研究会編 『信長研究の最前線』(2014 洋泉社) 日本史史料研究会, 渡邊 大門 編『信長研究の最前線2』(2017 洋泉社)

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