鬼平・長谷川平蔵が務めた江戸時代の特別警察「火付盗賊改」実は意外と権限が弱かった? (2/3ページ)

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足軽大将にあたる役職

その後、火付改や博打改も設けられ、三つの「三改」が統廃合していくことになります。

当初の火付盗賊改は幕府の職制上の役職ではなく、先手頭持之頭の中から兼任を命じられた役職でした。

ちなみに先手頭とは戦時に先陣を務める役職で、御先手組弓頭と御先手組筒頭の総称です。また持之頭は将軍の弓や鉄砲を管理する役職で、御持組弓頭と御持組筒頭の総称です。

「火付盗賊改」も、最初は通称として用いられていたものが正式な職名になったもので、『徳川実紀』では、「盗賊考察」「火賊捕盗」「捕盗加役」などさまざまな名称が用いられています。

この役職は幕末の慶応2年(1866年)まで201年間続き、のべ240人(実数197人)が就任しました。

このうち先手頭が就いたケースが全体の95%を超えます。先手頭は、戦国時代では足軽大将に相当する武官でした。

平時においては江戸城内の各門に交代で勤務し、将軍の出行においては警備を担った、江戸幕府の組織の中でも実戦的な役職だったといえるでしょう。

実は権限が弱かった

さて、町奉行が江戸幕府の最高執政職の老中の管轄であるのに対して、火盗改を管轄するのは老中に次ぐ若年寄です。

『鬼平犯科帳』で、平蔵が武士や僧侶の犯罪に苦慮するシーンがありますが、火盗改が逮捕できる者は「宗門人別改帳」から外された「無宿」や百姓・町人に限定されました。

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