これは惚れる!戦国時代「長篠の戦い」勝利に貢献した足軽・鳥居強右衛門の胸アツ過ぎる生きざま! (2/3ページ)
身分も知名度も低い足軽の鳥居
鳥居強右衛門は天文9年(1540年)、三河国宝飯郡(愛知県豊川市)に生まれたといわれ、三河の豪族だった奥平家に仕える家臣が家来として召し抱えていた下級武士でした。
強右衛門についての現存する資料は数少なく、生い立ちなどについてはほとんど知られていません。無名の足軽だった彼が歴史の表舞台に登場したのが、長篠城防衛戦の時です。
長篠の戦いにおける連合軍が勝利した理由は様々ですが、信長が布陣した設楽原の手前にあった、長篠城が陥落しなかったのもその一因といえます。しかし、この長篠城は家康の娘婿でもあった城主・奥平貞昌が500の兵を率いて守ったのに対し、武田勝頼が率いる武田軍の精鋭15,000に包囲されていたのです。
奥平家の奮戦もむなしく、食糧庫も火矢による攻撃で焼き討ちされてしまった長篠城は、陥落必至の状況に追い込まれていました。この窮地を救うには援軍を呼ぶほかなく、援軍要請の任務に名乗りを上げたのが鳥居でした。
重大任務に下級武士が大抜擢されたのには、身分にこだわっていられない非常事態であったことに加えて、身体能力が高く、身分の低さゆえに敵方に顔を知られていないことが考慮されたようです。
不可能を可能に。ひた走った漢。水泳に秀でていた彼は、天正3年(1575年)5月14日の夜に城の下水口から抜け出し川を泳いで、武田軍の目を盗んで岡崎城に向かいます。