これは惚れる!戦国時代「長篠の戦い」勝利に貢献した足軽・鳥居強右衛門の胸アツ過ぎる生きざま【後編】 (2/3ページ)

Japaaan

16日の朝にも来た時と同じ烽火を上げてから長篠城に入ろうとしていたため、城から歓声が上がり、陥落しないのに武田軍の武士達も気づいていたのです。

鳥居を取り押さえさせた勝頼は、怒ると同時に彼の勇気ある人柄と行動力に惚れ込みます。
「援軍は来ないから降参しろと言いなさい。そうすれば、命は助けるし厚遇も約束しよう」
と鳥居を説得したのでした。長篠城を陥落させる上に勇将も得られるのですから、兵法の名手だった勝頼らしい一石二鳥の計略といえます。

敵の大将直々に称賛の言葉と厚遇を与えられたら、寝返りが当たり前の戦国時代では、藤堂高虎や竹中半兵衛のように承知するのが常識でもありました。鳥居も「分かりました」と一旦承知こそしますが、彼の腹は決まっていました。

程なくして長篠城門前に突き出された鳥居は、勝頼に言われたのとは正反対に
「援軍は2、3日もあれば来ます!それまで耐えて下さい!!」
と大声で叫び、貞昌を始めとした奥平軍の士気を大いに奮い立たせたのでした。

「城中に援軍が来ることを伝える鳥居強右衛門」楊洲周延

降伏しなかった鳥居はこの直後、勝頼の命で磔もしくは斬首され、数え年にして36歳の若さで世を去ったのでした。

鳥居は長篠の勝利を見ずして散りましたが、その壮絶な末路は敵味方を問わず感銘を与えました。処刑前の鳥居と親しくなった武田家家臣・落合左平次道久は、磔になった鳥居の姿を絵にした旗指物でその勇気を讃えました。半裸で逆さ吊りにされた厳つい風貌をした男性の意匠が施された旗指物は、今も現存しています。

「これは惚れる!戦国時代「長篠の戦い」勝利に貢献した足軽・鳥居強右衛門の胸アツ過ぎる生きざま【後編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、長篠の戦い鳥居強右衛門足軽武士徳川家康カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る