江戸時代、私娼窟を取り締まる「警動」で検挙された遊女たちの末路…。大河『べらぼう』でも話題に
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みなさんは、2025年の大河ドラマ『べらぼう』を見ていますか?毎週欠かさず見ているという方、まだ追いつけていないという方など、さまざまではないでしょうか。
そんな『べらぼう』のなかでも登場した「警動(けいどう)」について、今回の記事では詳しくわかりやすく解説していきたいと思います。
警動(けいどう)とは?警動(けいどう)は、江戸時代に存在していた非公認の私娼窟や違法賭博場の取り締まりのことです。そもそも江戸時代は、強力な幕府の統治体制により、さまざまなルールが決められ、風紀を維持することが重要視されていました。
幕府からすれば、非公認の私娼窟や違法賭博場は、まさにそんな風紀を乱す存在でした。
警動(けいどう)は、今でいう抜き打ち検査や一斉検挙といったイメージでしょうか。
警動は吉原からの要請で行うのが一般的取り締まりと言うと、幕府が自主的・積極的に行うというイメージが強いかもしれません。しかし、警動は吉原からの要請で行うのが一般的でした。よほどのことがない限り、町奉行自身が自分たちから行動を起こすことはなかったようです。
吉原は、幕府公認の公娼制度の中心地。吉原からすれば、岡場所などの非公認の私娼は、脅威であり目の上のたんこぶでした。
そのため、吉原は自分たちの営業を守るため、非公認の私娼を取り締まってもらうために警動をお願いしていたという仕組みです。
ただし、例外として天保の改革の時期があります。これは、積極的に大規模な警動・摘発が行われました。
警動で検挙された遊女たちはどうなったのか?警動で検挙されてしまった私娼は、吉原に送られました。そして、高い場合は5両、10両、低い場合は何十文という値段で、各廓内妓楼主人の入札によって競売に付せられました。
そして、無給で3年間働かされたといいます。ただし、3年間は最長の場合でした。検挙され、連れてこられた女性たちは、「奴女郎(やっこじょろう)」と呼ばれ軽蔑されてしまったといいます。
ただし、なかには捉えられた女性のなかから、大出生していく人もいました。有名なのが「勝山(かつやま)」という女性。
もぐりの私娼から江戸・吉原遊郭のトップ「太夫」にまで上り詰めた伝説の遊女「勝山」彼女はもともと私娼窟をかねた風呂屋の従業員(湯女)でしたが、検挙され、吉原送りになりました。しかし彼女は、吉原で最高位の太夫にまで上り詰めた実力者。その人気のほどは、井原西鶴が『西鶴織留』で彼女を一代の名妓と紹介していることからもわかります。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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