ただ美しく、切ない。映画『ゆきてかへらぬ』が教えてくれた、“純愛” (2/3ページ)

マイナビウーマン

■今彼と元彼――どちらとも繋がり続けるのは、いけないこと?

愛情に溢れる暮らしは長く続かず、東京に引っ越した2人の生活環境は一変する。そんな時に、泰子は中也の詩を評価する文芸評論家・小林秀雄と出会ってしまう。無骨な中也とは裏腹に、大人びて知的な魅力を持つ小林。そして泰子は、2人の男性に求められてしまう。

三角関係を題材にしたドラマや映画は多くあるが、3人の恋愛はよくある関係に収まらない。中也にとって、小林は唯一と言っていいほどの詩の理解者で、また小林にとっても、中也の詩は類稀なる才能の原石だった。中也と泰子の関係は、小林も巻き込んで共依存のトライアングルを作り上げていくことになる。

現代であれば、略奪愛の末に恋人が元彼とも仲良くしているとか、今彼と元彼が未だに親友です、なんてほとんどの人が「ありえない」と感じるはずだ。しかし、かつての純文学の中では、こういった略奪愛や不倫が純愛として描かれることも多い。日本が一夫多妻制を終えたのは1898年のこと。大正時代ではまだ、不倫や略奪愛は今ほど禁忌として捉えられるものではない側面があった。

現代、不倫は法で裁かれるものとなり、たとえ結婚していなかったとしても、略奪愛にはほとんどの場合厳しい目線が向けられる。しかし令和の今とは裏腹に、泰子と中也、小林は歪ながらも、3人が繋がり続けることでお互いを保ち続けていくことになる。その姿には、愛の多様性を感じずにはいられないはずだ。

■「愛する」は人それぞれで、正解はない

“多様性”という言葉が乱用されるようになった現代だが、実際には厳しいコンプライアンス社会が出来上がってしまった。誰かの多様性は、誰かの掲げる価値観に反することになり、SNSやネットでは常にあらゆる“正義”に監視され続けている。依存も嫉妬も、よく知りもしない他人からすると、黒く悲しい感情として片づけられがちだ。

泰子、中也、小林の3人の青春と恋愛は、激しさこそあれど本人たちが幸せだと感じていたかどうかは、本作の中だけでは紐解けない。しかし、彼らは自分らしく愛を実践し続けたし、そういう意味で自由だったのだ。

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