伊達政宗はなんと江戸幕府転覆を目論んでいた!?「慶長遣欧使節」に秘められた野心とは【前編】 (2/3ページ)
幕府が許可すると、政宗はサン・ファン・バウティスタ号と名づけられた巨大な船を造り、同年9月15日の夜、月ノ浦(宮城県牡鹿半島西岸)から出帆しました。
この慶長遣欧使節団は主催・仙台藩、後援・江戸幕府というべき一大事業で、使節団は政宗の家臣・支倉常長をはじめ、幕府の船奉行・向井将監、フランシスコ会宣教師ルイス・ソテロ、スペイン使節セバスチャン・ビスカイノなど180余人から編成され、正使は常長が務めました。
船は太平洋を横断し、12月にノビスパンに到着。そこで半年近く滞在し、翌年5月、スペインの軍艦に乗って出発します。今度は大西洋を横断して、11月にようやくスペインの首都マドリードに到着しました。
そして翌年(元和元年)1月にはスペイン国王フィリップ3世に謁見。さらに一行は、交渉の協力を仰ぐためにローマに向い、11月にローマ法王にも謁見しています。
しかし通商協約は成立することなく、常長は1620(元和6)年8月、帰国しました。
政宗の本当の目的以上が、有名な慶長遣欧使節団の概要です。
これは、日本人が初めてヨーロッパの国へ赴いて外交交渉をした画期的な出来事でした。常長たちは初めて太平洋・大西洋の横断に成功した日本人ということになります。